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余命宣告で休職1年

 先日yahooのあるトピックスに目がとまりました。それは、「家族が余命宣告を受けたら、最長1年休職の会社」という見出しでした。内容をよく見ますと、余命が6か月以内と宣告を受けた父母、配偶者、子供などがいる場合、1週間から半年の休職が認められ、最長で6か月延長できるというものでした(但しその間は無給)。私も前妻ががんで余命宣告を受けた後亡くしたものですから、その精神的、肉体的に家族の負担が大きくなることを体験していますので、この制度を掲げた大手製薬会社の姿勢に敬意を表します。しかし、そういった負担のみならず、余命宣告を受けた家族との残り少ない時間の共有をできるだけしたいと願っても、現実を直視すればなかなか思うようにできません。私はがんに侵されるまでの前妻との時間の過ごし方に、かなりの後悔と反省がありました。その為、この余命宣告を機に、せめてこの残り少ない時間だけでも会社を休んで一緒に過ごしたいと思っても、当時は代表の私が抜けられる状況では到底ありませんでした。しかし、社員全員にその気持ちを話し、皆の心からの応援が得られたので、無期限の休暇を頂き、治療を継続しながらキャンピングカーで日本中を前妻と旅しました。それがなし得たのは、社員がそれを心から応援してくれたことと、ある程度その間の給与を支給してくれたことで実現できたのでした。  
 そう考えますと、余命宣告を受けた家族に休暇を与えたとしても、(与えないよりは全然良いのですが)その間の収入(ある程度の給与支給など)がなければ現実的に長期の休暇は取れそうにありません。しかし、会社や社会がそれに対応するまで病気は待ってはくれません。保険の保証内容にせよ、貯蓄額にせよ、会社の休職制度にせよ、自らもどのような状況にでもある程度は対応できるよう、日頃からの準備が重要ですね・・・。

正確な日本語って?

 いつの時代も「最近の子はダメだ」とか「最近の日本語はなってない」など
と言われます。しかしよく考えてみますと、私が10代の時にも、諸先輩方から同じことを言われていましたし、私の少し上の世代でも、ヒッピーやみゆきなどの族が流行っていたり、そのまた上の世代もロカビリーや六本木や太陽などの族が流行ったりして、その時々の諸先輩方は同じように嘆いていたようです。それらは、恐らくその前やそのまた前の世代も同じ事を繰り返していたはずです。それはどの時代の若者も、既成の世界や世間体に対して反発心を抱くことが当然であり、またそういった気持ちも意味あるものと思いますので、諸先輩方から見た「最近の若者」の存在はいつの時代も必要なものなのでしょう。  よく考えますと言葉や生活様式、流行などというものは、時代によって変化していくのは当然のことで、それに加えてその時代に常識とされていたことや言語さえも変化していきます。昔からある文化や伝統を後世に承継していくことは、日本という文化の豊かな国に生まれた人間としての義務でることは間違いありません。しかし、今までの歴史を見る限り生活様式はもとより、言語や常識については、いったい何をもって「正解」とすべきであるかは議論すべきことであるように思います。極端な話、昔からある言葉や文字が「正解」なのであれば、例えば平安時代の言葉や文字を「正解」とするならば、既に江戸時代で「正確」な日本語でなくなっていることになります。もっと近くで大正時代や昭和初期の文字や言葉を「正解」としても同じことが言えます。それなのに事あるごとに「今の日本語は間違っている」という人を見るたびに、それはだれが決めた日本語?と思います。
 そう考えますと今言われる日本語の「正解」って、どの時代のどの日本語なのでしょうか?・・・。