カテゴリー別アーカイブ: 2004

熱帯魚

 最近、事務所のレイアウトを換えたついでに、インテリア的にもにいいのではないかと思い、年末から事務所で熱帯魚を飼い始めました。何も分からずに飼い始めたものですから、失敗していることにも気づかずに2~3匹天国に召された子達もいましたが、今は比較的安定して皆さん暮らして頂いております。飼い始める前、既に飼っている人が「何時間でも水槽の前でぼんやりと眺めていられるんやで」と言っていたのを聞いたとき、じっとしていられない性格の私には、そんなことは到底出来ないと思っていました。ところが、いざ飼い始めてみますと、こんな私でも何時間はオーバーな表現としても、何分も眺めてしまうのです。
 小さな子を大きな子が訳もなく追い掛け回すところや、ちょっと骨の曲がった奇形の子が一生懸命に泳ぎながら餌を食べているところ、同じ種類同士の子達が群れをなして同じ場所で遊泳しているところ、それぞれ自分勝手に動き回るタニシが、小さな口のようなものをパクパクしながらガラス面に張り付いた藻を食べながら動き回ることころなどを見ていると気が付くといつの間にか時間が経っています。こうい事を世間で言う「癒されている」というのかなと思いながら一日何度見ても飽きません。
 また、餌を与えようとそのケースを持った途端、一斉に全員の動きが活発になり、餌が落ちてくる場所に集合してきます。こんな小さな熱帯魚でも、これだけこちらの行動に反応するところを見てしまうと、とても可愛らしいなと愛着が湧いてきてしまいす。
 前にもこのコラムで書かせていただいたように、私の家では「うめ吉」と「まつ吉」という二匹の犬が暮らしております。昼は私たちが仕事をしている為ケージの中で過ごし、夜帰宅してからは一緒に寛ぐという毎日を過ごしております。そんな中、たまに思うのですが、もし、これで誰も帰ってこなくて食事も与えられず、ケージからも出してもらえなければ、それこそ一週間も経たないうちにその生命は終わります。それは水槽の彼らも同様で、それだけ飼っている私たちの責任は大きいのです。しかし、そんな彼らは私たちに何をしてくれるのでしょうか?経済的に助けてくれるのかといえばそうではないし、家事を手伝ってくれるのかといえばそうでもありません。
では何故こんなに大切で、こんなに愛着があるのでしょうか。それは恐らく彼らが私たちに「全面的に信頼し、全面的に生命を預けている」からでしょう・・・。

同窓会

 先日不意に、高校の同級生から16年位ぶりに電話が入りました。それは「同窓会をやろう」という内容のものでした。よく考えてみれば、十八歳のときに卒業し、今私達は三十六歳、卒業して十八年目なので、ちょうど今の人生の半分の時期に卒業したことになります。そんな話をしているうちに、私も幹事に加わることになり、早速最新の卒業者名簿を片手に、同級生宅へ連絡を始めました。そのクラスの同窓会は、高校卒業後に二度ほど行っていますが、卒業してすぐの二年間だけのことで、本当に久しぶりに話をしました。
 そんなある日、いつもより少し早く起きた朝に、気になっていた卒業アルバムを本棚から抜き取り、少し眺めていました。少しの時間だけ思い出に浸り、そして本棚へアルバムを戻したその時、その脇にある色あせたワラ半紙の塊が目に飛び込んできました。それは、そのクラスの全員で創った「卒業文集」でした。手に取ってみた、その十八年前のワラ半紙は、今にも破れそうな状況ではありましたが、皆が当時十八年という人生を歩んだ証を思い一杯に書き記してある、もう二度と創れない貴重なワラ半紙でした。
 パラパラと捲っていくと、(とは言っても、やはり一番最初に探すのは自分の書いたページですね。)本当に「青春」という感じがして、自分は年を取ったんだなぁと実感させられました。ちなみに私はこの卒業文集の自称「編集長」をしていたようで、巻末に二ページ分、今読み返すと顔から火が出るような「編集長から一言」という長々とした文章を書いていました。恥ずかしながら、そのごく一部の一文を、そのまま抜粋してみます。
 「・・・・“燃える心”“一生懸命にやる”ということは、何か目標を作れば出来る。せやけどその目標がなかなか見つからへんし、なかなかわからへん。せやけど自分がこれやと思うもん見つけたらいっぺんやってみ。ほんでとことんやって、やっぱり違うと思ったらまた違う目標作ってみ。“燃える心”“一生懸命にやる”を持ったら人間変わるで。見違えるほどイキイキすんで。それが本当の目標やったら苦労も苦にならへんで。皆まだ若いんやからできる。
 「失敗は成功のもと」って言うくらいやから失敗を恐れんとやってみるんや。大学行くヤツは幸せやぞ。四年間あるんや。せやけどボーっとしてたらすぐや、四年間なんか。就職するヤツは仕事に目標作るのもいい。日曜や仕事終わってからでもええ。目標見つけて”燃えろ“。ほんで周りのやつに精神的に差をつけたれ。」お恥ずかしい・・・。