カテゴリー別アーカイブ: 2004

チキンライス

 今年も12月に入ってすぐに街のあちこちでイルミネーションが装飾され、年末の到来が感じられます。年末年始はイベントが重なり、私を含めほとんどの方が本当に忙しないというか、ワクワクするというか、他の季節にはない精神状態が続くのがこの季節の特徴だと思います。
 そんな年末の一大イベントと言えば「クリスマス」です。でも日本人の大半がキリスト教でもないのに、やれクリスマスだ、パーティーだ、プレゼントだと企業に踊らされているのはよくないぞと、よく賢い人がおっしゃいますが、私としては宗教が何であれ人種が何であれ、その日を楽しみにしてそれまでを一生懸命に頑張れるなら、すばらしい事ではないのか、またそんな「イベント」を楽しむのが下手になってきている我々日本人は、便乗でも何でも自分たちが楽しめる事が出来ただけでも結構な事じゃないのかなと思ったりします。
 そんな季節に入って私は、久しぶりに仕事を早く片付けて家に帰って食事をしていましたら、何気なく見ていたTVから流れてきた、失礼ながら本当に「ヘタクソな歌」の歌詞の字幕を追っていました。 
 「・・・子供の頃にたまに家族で外食 いつも頼んでいたのはチキンライス 豪華なものを頼めば二度とつれてきてはもらえない気がして 親に気を使ってたあんな気持ち今の子供に理解できるかな?・・・ 昔話を出すと決まって貧乏自慢ですかという顔をするやつ でもあれだけ貧乏だったんだ せめて自慢させてくれ・・・今日はクリスマス 街は賑やかお祭り騒ぎ 七面鳥はやっぱ照れる 俺はまだチキンライスでいいや」 そう、ダウンタウンの浜田さんと槇原さんが歌っている「チキンライス」です。作詞は相方の松本さんがしたらしく、やはり独特の歌詞になっています。この歌詞(歌ではありません)を見ていて、「何が」ということははっきりと言えないのですが、何かしら心にズシッと刺さりました。「豪華なものを頼めば二度と連れてきてもらえない気がして・・」私も子供ながらにそういった気をすごく使っていましたし、今では「昔話をすると 貧乏自慢ですか・・・・」などは、よくやってしまいます。
 でもひとつだけこの歌詞で誤解しているような気がするのは、「親に気を使っていたそんな気持ち今の子供に理解できるかな」とありますが、私たちが気を使ったのとはまた違うところで今の子供は気を使っているはずです。その部分が少し違うだけで「今の子供は・・・」というのは、ちょっと間違いのように思います・・・。

台湾旅行

 先日、不動産関係の旅行で3泊4日の日程で台湾に行かせて頂きました。私にとって海外は、一四年ほど前に新婚旅行でハワイに行ったきりの人生二度目の海外旅行となりました。他の人はどうか分かりませんが、私の場合は当然その前夜遅くまで仕事をしていましたので、準備はそれからという切羽詰ったスケジュールで出発しました。 早朝に集合し、2~3時間飛行機に乗ってあっという間に現地に到着しました。当然に、私は事前に何の下調べもせず、台湾という国のほとんど何も知らずにその国に降り立った私は、空港を出てすぐの駐車場を見たときに「ここは日本か?」と思うくらいの日本車の多さに驚きました。
 その後最初の目的地に向かうためにバスに揺られながら、日本語の達者な現地のガイドのお兄さんが台湾のお国事情や、注意点などを教えていただいたようなのですが、私にとって車窓から流れる風景すべての何もかもが新鮮で、幼児のように窓に張り付いて食い入って見ていました。(余談になりますがちょうどその時は選挙の時期らしく、日本では考えられない大きさで、候補者をアピールしている看板が街の至る所に掲示されているのも驚きでした。)また、台北の町中を走っている車の車種に興味が湧いてきましてよく観察していますと、日本で言う「セルシオ」やドイツの高級車「ベンツ」、等が一般者に混じってかなりの台数が走っていました。それを見ていると「へえ、台湾って金持ちなんや」と勝手に思い込んでいましたが、後で聞くとそんな高級車を乗れるのは一部の人たちで、殆どの人はミニバイクで通勤などをしているようです。また仕事柄、どうしても街中の建物に目が行ってしまうのですが、本当に近代的なビルのすぐ横に、築年数が相当経っているビルが乱立し、とても都市計画がうまく行っているようには見えませんでした。
 しかし何と言ってもこれも仕事柄でしょう、1番驚きだったのが不動産の高騰ぶりでした。サラリーマンの平均月収が15万円の街で、今建築されているマンションの坪単価が何と「300万円以上」と言うではないですか。更に台北の幹線道路沿いの地価等は「1000万円以上」するらしく、一部の「成功者」のみが台北に優雅に住まいできる環境らしいのです。
 それを聞いて私は、「日本にもそういう時期ってあったよな」とバブルの頃を想像したのですが、台北もバブルがはじける日が近いのではないのか、貴方達も十分気を付けなさいよ、と無意識にガイドさんに忠告していた私がいました・・・。

100円ショップ

 今日、新しい事務所の文房具を購入するために、百円ショップに買い物に行きました。百円ショップというところはいつ行っても「これがこんな値段であるのか!」という感じで、ついつい買いすぎてしまいます。
 私と百円ショップの出会いは(そんな大げさな事でもありませんが)、今からおよそ6年ほど前に、東京都練馬区にできた百円ショップが始まりでした。その店舗は2フロアーあり、総面積にしておそらく500坪くらいはあったと思いますが、その広い店内に置かれているものは全て百円で買えるという衝撃に感動しっぱなしで休みのたびに出かけていき、ついつい無駄に購入してしまいました。
 そういった100円ショップができるまでは、よくスーパーの入口などで、「百円均一」と銘打ってイベントをやっていたものでしたが、そこに売られていたものは、爪楊枝や缶切など台所用品が中心で、おもちゃや文房具などを購入しようものなら、大変言葉は悪いですが「安物買いの銭失い」的なものも多かったように思います。しかし、今の100円ショップは「こんなクオリティーの高いものが100円で売られているのか」と逆に驚きがあり、また行く度に違う商品が陳列されているなど我々消費者の購買意欲を駆り立てさせる演出があり、中々敵もやるもんだなと感心させられます。
そんな100円の商品を手にとって眺めていると、いつも不思議に思う事があります。それは「今までこの位のクオリティーの商品を200円や300円、いやもっと高くで買っていた私たちは、日本のメーカーに騙されていたんだろうか?それとも本来であればこの価格でできていたものが、今までは企業努力が足りなくてやっていなかっただけなのだろうか?」ということです。
 確かに今までは「 Made in japan 」と記入がされているものが、品質やデザイン、耐久性など優れたものが多かったのは事実です。しかし、今となっては品質、デザイン、耐久性なども「日本以外のアジアの各国」で生産されたものが「 Made in japan 」に引けを取らないばかりか、同程度の製品では価格面では到底かなわないという状況になってきています。
 そう考えますと、これからの「 Made in japan 」はどのような方向に向かって進んでいくのでしょうか。今までと同じようなやり方では、もう競争ができなくなってきているのは確かです。それらは「製品」は勿論の事、「経済」や「文化」、「考え方」や「常識」等にも言えることでしょう・・・。

法事

 先日、友人のお父様の葬儀に参列させていただきました。友人は当然の事、そのお父様もよくお世話になった方で、私自身も非常に残念で悲しい思いで一杯でした。
 以前の、コラムにも書かせていただいたように、私も4年ほど前に父を亡くしているので、その友人のこの数日間のことを思うと、私もそういった経験をしているだけにとても辛い思いでした。
 今まで私は、知人や友人の家の葬儀に参列させていただいても、殆どの故人がその友人や知人の祖父・祖母であったりした為に、直接に面識がない方が大半でした。しかし最近は徐々に面識のある方の葬儀に参列するようになり、私も年々歳をとってきているんだなあと実感させられます。そんな中、私の父の葬儀や3回忌などの法事を行っているときに、私自身が実感したことを思い出しました。 自分の家族が亡くなった時は、当然に深い悲しみや絶望感で悲しみ又、苦しむものですが、数時間が過ぎればお通夜の手配や葬儀の段取りなどの現実が迫ってきます。普通の方であれば、こういった段取りなどは一生のうち何十回も行うものでもありませんので、悲しむことも出来ずに葬儀屋さんの助言に従って段取りを組んでいきます。そして葬儀が終わればすぐに今度は参列していただいた方の確認や香典の整理などを始めます。そんな時になぜこんなバタバタしないといけないのかとか、何の為にこんなことをやっているのか等と考える余裕も無いまま1週間ほど経ってから、ようやくひと段落つけ、初めて故人のいない生活が始まったことに気がつきます。そして久々に集まった親戚や知人の事も思い出すようになります。
 私が子供の頃に過ごした正月は、父が7人兄弟の長男だった為、ただでさえ狭い狭い住宅の中に、その兄弟と家族が集まってきて、総勢30個程の口がああでもないこうでもないと勝手にしゃべっていたので、それは本当に凄い事になっていました。しかし時が経つにつれ、そのすごい集まりも徐々に無くなってきまして、今となっては昔のように全員が集まるようなことは無くなりました。こんな事を言うのは不謹慎なのかもしれませんが、先述の法事のときに思ったことがこういうことです。
 普段生活をしていたら、何も無ければ集まらない親戚や兄弟も、その人が亡くなったことによって行う法事あるからこそ集うことが出来るんだなと。違う言い方をすれば、そういう集いをする為にこういった法事というものがあるんだなと実感しました。 
 こんな物事の捉え方は間違っているのでしょうか・・・?

身体障害者用駐車場

 先日、「車いす駐車場に停めません条例(仮称)」の制定を目指して活動されている名張市の市民グループ「ユニバーサルさくら」さんの活動が、朝日新聞の伊賀版に掲載されていました。この記事を見て私は、昨年に不覚にも踵を粉砕骨折した際に、ギブスをして松葉杖を使って歩行していたときのことを思い出し「そうそう、エエ事やってはるわ」と思わず独り言を言っていました。それはその骨折した頃、スーパー等に買い物に行ったときに、身体障害者用の駐車場が一番入り口の近くにあり、スペースもとても広かったので、良いのか悪いのか分かりませんでしたが、私が停めても1台以上空いていたらそこに停めて買い物などをしました。その時私は身障者ではありませんでしたが、骨折の為に歩行するのがとても不自由していましたので随分と助かった記憶があります。でも流石に1台しかない時などはその駐車場に停めませんでした。しかし、私が買い物を終えて車に乗り込むときに見かけたことですが、健常者の方が、わざわざ車止めを除けてまで平然と身障者用の駐車場に車を停めて買い物に向かったときには、怒りというよりも軽蔑の思いでその人を見てしまいました。
 後でよく考えて見ますと、恐らくそのときに私が骨折をしていなく、又そんな経験も無かったら、そこまでは思わなかったと思います。それは私自身が不自由な思いをしたからこそそう思ったんだと思います。しかし私が不自由だったのは、一生の内のほんの短い期間です。時間がたてば恐らくそういった怒りや軽蔑の感情はだんだんと薄れていくでしょう。でも身障者の方はその状態が続く限り、不自由な生活をされます。そう思うと私が見たそういった心無い人たちの出来事は、日常の生活をされているときに幾らでも遭遇する場面ではないのかと思います。
 先述に私は、「心無い人たち」とあえて書きましたが、そのような行動をする人は、実はそういった経験や、身近に身障者の方がいない環境にあるだけで、私もそんな思いをしなければ同じことをしていたかもしれません。私が思ったことを正直に言うと、骨折をするまでも身障者用の駐車場に停めませんでした。なぜ停めなかったのかというと、「そこには停めてはいけない常識」があったから停めなかっただけで、「困る人の気持ちや不便さが分かるから」停めなかったのではありませんでした。
 いろんな人の立場に立って考える事の難しさや、そのことの重要性をもう一度見つめ直してみましょう・・・。

冬のソナタ

 一ヶ月位前に妻が、借りてきたドラマのビデオテープを、自分のビデオテープにダビングしていました。私は何も気にせずにリビングで寛いでいましたら、「今からちょっと用事があるねんけど、もうちょっとでテープを変えんとあかんから変えといて。」とテープの見張り番をさせられました。そのダビング作業は数日前から妻が、一生懸命に何本も行っていまして、「ようもそんな面倒なことやってるわ」と私は思うくらいでした。
私は見たくもないそんなドラマのダビングの見張り番をさせられて、正直「何でこんな時間潰しせなアカンねん」と思いながら、ただ見るでもなくぼーっと座っていました。しかし全く不思議なもので、私は全く興味の無かったそのドラマを一話、また一話とビデオテープに収めていく度に、今の日本のドラマには無い純粋さがありながら、しかし速すぎるストーリー展開にグイグイ引き込まれていき、とうとうダビングの途中で「はじめから終わりまで一貫して見てみたい」という衝動に駆られ、途中からはダビングしながらも全くストーリーを見ることなく終了させてしまいました。
そのドラマとは、もうお分かりでしょうが、そう「冬のソナタ」なのでした。それからというもの早速インターネットオークションで、全20巻の DVD を購入し、仕事も早々に切り上げ、そして毎夜遅くまで第一話から第二〇話まで一気に見てしまいました。更に今まで私は、携帯の着信音は「電話のベル」の音か、バイブレーターにしていたので全く着メロには興味なかったのですが、あの主題歌を身近に感じていたいと思い、初めて着メロを入れてしまいました。
 世間が一番騒いでいる頃には全く興味が無かった、いやどちらかと言うと私の性格では、世間が騒ぐから敢えて自分は興味を示さないという天邪鬼な性格なので、ヨン様ファンや妻には「あんなんどこがええねん。そんな純粋なドラマおもしろないやろ。おれは絶対にハマらん。」と言い切っていましたが、なんのなんの、主人公ミニョンさんの髪形をちょっと意識してみたり、主題歌の入った CD まで買ってしまうという熱の入れようで、全然妻よりハマってしまいました。
 今年の冬は、もしゆとりが出来たら韓国へ行ってみたい、と密かに思う今日この頃です・・・。

犯罪被害者救済制度

 先日インターネットのニュースで掲載されていたある記事に目が止まりました。それは、「知人男性を暴行、監禁=女子高生コンクリ事件の元少年」というものでした。1988年に東京都足立区で女子高生を監禁した上で、長期にわたる暴行により殺害し、死体をドラム缶でコンクリート詰にして放置したこの事件は、過去の少年事件の中でも特に凶悪かつ自己中心的犯行で、許し難い事件として非常に世間を騒がせました。その事件に加わった内の一人が、出所後に先述の事件を起こしたというのです。
皆さんはこの出来事をどう捕らえられますか?恐らく私を含めこのコラムを読んでいただいている皆さんの第一印象は、「何でそんな事件を二度も起こすような人を出所させるの?」というものではないでしょうか。
 そういう風に思うことは、私たちが日々安全に、また日々安心して過ごす為にはごく当然の思いですし、当然の権利でもあります。
しかし、逆の立場(犯罪を犯してしまった人)から物事を捉えてみますと、本心から反省し、その犯した罪を一生をかけて償っていくという決意で、被害者への保障や、また自身の生活をしていこうとする場合は、まず仕事をしていかなければなりません。しかし、就職した後や新転地で過去が知られてしまった場合等は、中々その居場所が確保できなくなってしまいます。それは、「そんなことをしたから当然だろう。」と言う意見もありますし、逆に「そんな事ではいつまでたっても更生できないじゃないか。」と言う意見もあります。確かにどちらの意見も正しい意見でありますし、それぞれの立場で状況や思うことが違うのは当然です。また違う見方では被害者側の家族などは、自分の身内がそんなひどい仕打ちを受けているにも拘らず、世間の噂やマスコミの餌食にされて精神を病んだり、普通に暮らすこともできず、転居せざるに得ない状況に追い込まれたりもします。
 これらの意見や状況は、それぞれの思いとして共に交わることのない、また、解決することが非常に困難な課題と言えると思います。ただそれらの中で、工夫や制度の充実度次第では和らげることができる可能性のあるものがあります。それは、「被害者側家族の救済」です。しかし現在の日本の制度では、「犯罪被害者救済制度」というものが存在しますが、遺族に支払われる遺族給付金が1079万円で上限という金額です。更に被害者家族のプライバシーや、生活が守られる法律がまだまだ整備されていませんし、精神的なケアーをする制度なども確立されていません。
 こんな部分からだけでも救済の間口を広げていって欲しいものです・・・。

キャンプ2

 この夏休みに、甥・姪・その家族総勢20名と毎年恒例にしているキャンプに行ってきました。昨年は私が恥ずかしながら、かかとを粉砕骨折してしまいましたが、今年は全員無事に帰ってくることが出来ました。 
 もともとは、甥・姪10名程度と大人2人で夏と冬の年2回で始めたキャンプも、夏場だけは女性陣も「寒くないから私達も連れて行け」とばかりに加わり、大人数のキャンプになっています。
 キャンプを始めた頃の子供たちは、幼児から小学校高学年までの子供たちだったのですが、今は最年長で中学校3年生になり、また下の子は最初のキャンプにはまだ「存在」していなかった子供達までになり、年齢層もかなり幅広くなってきました。 
 何度も申し上げていますように、私には子供がいません。そのためか、子供たちと接する私は、それぞれの親になっている大人が、子供たちと接する感覚と少し違う接し方をしているようで、子供たちから見た私を敢えて表現してみると、「自分たちの最年長者(リーダー)であり、仲間であるが、親と同じ大人である」と、こんな複雑な感覚のようです。
 そんな感覚のリーダーから、「キャンプで食べる自分たちのメシは、自分たちで考えたメニューとお金と手間でやりなさい」と言われたものですから、お年玉やお小遣いをせっせと貯める子や、キャンプぎりぎりになって親の肩もみして小遣いを稼ぐ子など、それぞれの性格がよく出ます。また食事の当番は、「男子・女子」チームに分けてそれぞれが全員の料理を作ることにしているのですが、メニューなどは、女の子は非常に細かく考えているもので、材料の買出しや献立を考えているメモなどは流石です。逆に男の子は、本当に大雑把な献立と買出しでやるのですがこれが不思議、ちゃんと出来て、また非常においしかったりするのです。
 こんなキャンプを子供たちは、今はすごく楽しみにしていてくれているようで何日も前から事前に準備をしています。でも実は、特に私や、親たち(特に子供から解放される冬のキャンプ?)が一番楽しみにしているのかもしれません。しかし、そんなキャンプも現実にはあと何年か経つと、私もその年頃ではそう思ったように、「そんな子供じみたこと友達に恥ずかしくて、もう出来るか」と言い出す子が出てくるんだろうなあと思うと、寂しくなってきてしまいます・・・。

仕事

 本来「仕事」というものは、何かしら労働を行い、その対価として代金や賃金などをいただくと言う行為ですが、その労働時間や、成果が上がれば上がるほど、代金や賃金が上がっていきます。しかし、忙しければ忙しいほど、その労働は「暇よりは全然良い」という感覚にはなりますが、比例して金銭の入りが多くなると言うものでもありません。
 世の中にはいろいろな種類の「仕事」が存在しますが、殆どの業種が先述の「忙しければ、暇よりぜんぜん良い」仕事であるにもかかわらず、その例外の「暇であれば暇なほうが断然良い」業種も存在します。例えば、消防隊員や警察官などの職業です。これらの仕事は私たち国民がより安全な生活をしていく為には絶対に必要な職業ですが、先述のように「暇であれば暇」なほど世間が平和であり、平穏な生活が送れているということだと思います。
 そんな「暇なほうが良い」であろう職業のうち、兵庫県自動車警ら隊が先日、本末転倒の不祥事を起こしました。それは、検挙の件数にノルマを課せ、それを達成させる為に架空の事件をでっち上げ、ノルマを達成させていたと言う不祥事です。これは、極端に言えば例えば消防隊員にすり替えて考えてみると、消防活動の回数にノルマを課せられた消防隊員が、そのノルマを達成できないと判断したときに、自分で火をつけてから消火活動を行うという行為に近いことだと思います。しかし、確かに警ら隊の行った行為は、「火をつけて廻る」ほど世間に迷惑はかけないかもしれませんが、その行為は決して許されるものでないことは明白です。
 では何故、国民誰しもが「そんなことはおかしい」と思うようなことを彼らは日常的にしていたのかと考えてみると、それはおそらくその組織の体制であり、慣れ親しんだ習慣や慣習であるように思われます。そんな習慣や慣習は、それらのほかにも三菱自動車のリコール隠ぺい工作などにもあるように、世間のいろんなところで行われている可能性があります。
 それは組織が大きくなればなるほど、その慣習が長く続いていればいるほど、その過ちを矯正することが困難になってきます。今までは、それらが発覚しづらかったり、発覚しても問題にならないように闇に葬られた時代ではありましたが、これからは当たり前のことが、当たり前に指摘される世の中になってきているようで、ある意味いい時代になってきたということでしょう・・・。

ホットポイズン

 今回は、私達が私的に行っている活動をこのコラムで紹介させていただき、ご興味のある皆さんの参加や、ご協力者を募りたいと思います。
 現在名張市に暮らしている若い人たちが、それぞれに趣味を持ち、練習や活動している事として、スケートボードや、ダンス、BMXや音楽のバンド活動などがあります。そんな人達と、ある人のとの関係で偶然に知り合いになれました。その人たちと話をしていると、皆口を揃えて言うことが同じでした。それは、
「自分たちがやりたいことを、名張市内ではできる施設がない。施設がないから駅前広場や公共の広場で活動していると、近隣からの苦情で締め出される。もし、それらができる場所があれば、現在活動している自分たちのグループだけでなく、潜在的にそれらをやりたいと思っている人たちや、違ったところで活動している人たちとの交流などができて、自分たちも含めてもっと有意義に活動ができていくのに。」と言う意見でした。 
 こんな話を聞いていると、ある人から言わせれば「そんなやりたいことの施設を作る為に自分たちはどんな努力をしているのか。そんな努力をせずに、希望だけ言っていても希望は叶うものか。」という厳しい意見もあろうことかと思いますが、人間と言うのは、人の為なら意見することや努力することができても、自分のことになると中々できないものです。ましてや、これらをやっている若者は、もっと大人の方々みたいに「つて」や「こね」なんかが無く、自分たちでどうしていいものかさえもわからないのが現状だと思います。
 そこで私達の仲間は、「彼らの手助けをしていこう!」と言うことになり、その活動名を「ホット ポイズン」と名付け、彼らの支援をしていくことにしました。
 ここからが本題です。このコラムを読んでいただいている方にお願いします。スケートボードや、ダンス、BMXや音楽のバンド活動などをやりたい、またやっているが施設や仲間がいないので思うように活動ができない人。また、そんな若者の施設を作る為に平地や建物を提供していただける方などがいらっしゃいましたら、是非是非、後記「ホットポイズン事務局」まで、ご連絡ください。心よりお待ちしております。
 あなたの勇気が仲間を、若者を変えていきます。

 ホットポイズン事務局 代表 長岡克明 090-4857-1971