幼児殺害事件

 また最近、連続して幼児殺害の事件が多発しています。この世に生を受けてから10年も経っていない幼児が殺害されるニュースを見るたびに胸が痛くなります。なぜ犯人はこんな幼い命を簡単に絶ってしまえるのでしょうか。当然に普通の思考をもっていれば、こんな残酷なことが出来るはずが無いと思いますが、これらの犯人たちは普通の思考で無い人だからこういった犯罪を犯すのでしょう。
 私はこのような報道を見るたびにいつも思うことがあります。一つは、このような報道をすることによって、異常な思考の持ち主が同じような犯罪を犯そうとするのではないのか、またその犯罪を詳細に報道すればするほどそういった人達の犯罪の手本になっているのではないかという事です。何かむしゃくしゃする、何か欲求が満たされないからと、異常な行動をするかもしれない人が、このような報道を見ることにより、「こんなことしてみよう」と思う人もいるはずです。しかし逆を返せば、こんな報道をしなければ、そういった危険が迫ってくるであろうという危機意識が  薄くなって無防備となり、余計に残忍な犯罪を横行させることにもなりかねないかもしれません。ですから報道というものはある意味では必要であり、ある意味では不必要であるという二面性をもっているということです。もう一つは、なぜ被害者の顔写真や実名が公表されるのか?ということです。報道サイドの意見では、被害者の実名が公表されない場合、その事件を報道する為の公平性や真実が薄れるので、警察サイドの発表だけに頼らずに、自らの取材で得た情報を加えることにより、公平性のある報道や真実の報道できるというのです。
 しかし実際に報道を見る側として、飛行機墜落事故など身内や知人の安否を確認したい場合には実名報道の必要性が感じられますが、このような事件の場合に実名報道や顔写真を掲載することにどれくらいの必要性があるのでしょうか?見る側としては顔写真を見て「こんなに小さいのにかわいそうに」と思うくらいが見る側の大多数のはずです。しかし被害者の家族は報道がどうのこうのよりも、身内がそのような事態になったことで、ただでさえ地獄のような辛い想いをしているときに、視聴率の為に各社が報道合戦を繰り広げ、また、周辺の人たちも興味本位で家の近くに行ったり、犯行現場に行ったりと犯罪による被害者家族が、報道による被害者家族という二重の被害者になってしまうのです。
 何度もこのコラムで言っていますが、報道をこんな内容にしているのは報道機関ではなく、その視聴者である私達ではないでしょうか・・・。