最終話1

 突然ではございますが、このコラムもこれを含めあと2回で終了させていただくことになりました。と言いますのも、この8月でかねてから計画しておりました「近畿不動産販売」からの卒業を果たすことになったからです。その為今回は2週にわたり掲載させて頂きます。
 思いおこせば私が代表を務めはじめた2001年、それまで大阪や東京で会社勤めをした後、33歳で意気揚々と独立しました。しかし、「会社というバックボーンがあるからこそ仕事ができた」という今となっては当たり前に分かることを、若気の至りとでも申しましょうか、何の根拠もない自信の上での独立でした。ましてやそれまで「名張」という地には住んでいたこともありましたが、殆ど仕事もしたことがなく、この地域特有の商売方法など全くと言っていいほど知らない若造が、何の根拠もない自信だけで独立したものですから、当然に仕事ができるはずもありません。今は亡き妻と二人三脚で独立してから3年ほどは、私自身に給与を出せないほどの経営状態が続きました。そんな経営状態ではありましたが、まずは地域の皆様に会社名だけでも覚えていただこうと、私自身の顔写真入りのバスを走らせたり、名張市内へ入る国道には大きな顔写真入りの看板を掲げさせていただいたり、2002年4月からこのコラムを始めさせていただきました。あれから13年で300話を超えるコラムを掲載させていただきました。
 その甲斐あって、当初仕事量はさほど多くはなかったですが、知名度だけは満足のいく結果が出てきました。ですから実際には利益は殆どありませんでしたが、世間では良く儲けているように思われていました。そんな必死な状況の中でも、何とか皆様に支えられながら仕事を続けられ、ようやくこれから知名度と仕事量の均等が取れてきそうだなという時期に、妻の病気が発覚しました。 次号へ