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成人式

 2週間前に成人式も無事終了し、新成人の方々は「大人」としての自覚や、責任をあらためて感じられた事と思います。そして新成人の皆さんはこの「晴れの日」に向けそれぞれの方が、それぞれの思いで参加された事と思います。
 今年成人式を迎えられる方にとっては、20歳になって初めてようやく得れるものが「投票権」です。その新成人第1番目の投票をしてもらおうと、成人式当日は、先日このコラムで御紹介しました「市民投票啓発市民投票グループ」の活動に参加しまして、成人式会場の前で市町村合併住民投票の投票啓発を呼びかけました。当然のことながら、旧友との再会や、友人との写真撮影に夢中の新成人を前に、あまり興味は示してもらえませんでしたが、ある意味少しでも啓発できたかなと自己満足しております。
 今の日本は、リストラだ、不景気だと叫ばれてはいますが、そうは言ってもまだまだ政治や街のことについては無関心な人が多いのが現実です。特に若い世代の方はその傾向が強く、政治家に関しては「誰がなっても同じ」、経済については「よくわからない」といった意見が大半です。しかし、以前もこのコラムで申し上げましたが、政治家が「誰がなっても同じ」という風にしていったのは、誰の責任でもない「有権者本人」の責任であることは明白です。そのためにも、私はほんの少しでも自覚をもってもらえるような活動を、今後も続けていきたいと思っております。
 そんな中、世間の方々が興味を示している事柄のひとつに北朝鮮の動向が挙げられます。北朝鮮問題は昨年から引き続き拉致問題に始まり、最近では核不拡散条約の脱退表明等、対日本から対世界へと、変わっていっています。私はそんな報道を見ていていつも思うことがありました。それは「北朝鮮の人々は、一部の上層部の偏った報道や教育や環境の中で、正確とは言えない情報によって自分たちの考え方や、信念を持たされていて可哀想だ」と。そして「私たち日本や欧米諸国のようにもっと自由な報道や環境を与えてあげたい」と。
 しかし、しかしですよ!。ここでハッと我に帰りました。よく考えてみれば、私たちは自由な情報や環境と思っていますが、本当にそうなんでしょうか?「私たちは自由な環境下におかれているのですよ、と教育や報道でそういう風に思わされているだけではないのか。誰かが、何らかの意図をもって我々の思考を操作し、これは正しいこと、これは間違ったことと、その誰かの思惑通りに情報操作されているのではないのだろうか。」と。
 現実はそんなことはないと信じたいものですが、何事に対しても情報操作が可能なメディアは相当恐ろしいものだなと実感し、そんな不安が少しよぎった年明けでした。

CM 2

 「スパゲッティ食べたでしょう?」 「食べてない」 「ケッチャップついてるやん」 「食べました」 「私のクーポン使って?」 「使ったような気がする・・・」 
 確かこんなやり取りのCM がありました。これは車の中で外国人の男性が、口から血を流していて、女性がそれに対して何かを話している場面です。このCM は個人的に非常に「ハマリ」ました。この場面、本当はシリアスなシーンのはずなのに、セリフだけが妙に普段の会話で、それとのギャップがCMを面白くしています。
 これは、「この場面ならこうだろう」とか「この場面ではこんなはずはない」という「既成概念やセオリー」があってこそ成り立つのであり、もし、それがなかったらこのCM は本当につまらないものになっています。少し違いますが例えば、「6回表1点差のノーアウト1塁、打者は9番バッター」という場面で、相手ピッチャーが敬遠策を取ったとします。野球を知っている人なら「なんで?」となり知らない人は「ふぅーん」となるはずです。
この「既成概念やセオリー」はそれに対しての知識があったり、経験があってこそ成り立つものであり、そのことに対して「無知」の場合には成り立ちません。しかし逆に、無知の場合には「既成概念」が無いため自由な発想が生まれることもあります。
 私が東京在住時に、東大大学院時代からから原子力の研究をしていて、科学技術省(現在の文部科学省)のキャリアとして就職した竹下という人物と、これからの日本のエネルギー政策などについて深夜まで酒を飲みながら何度も語り合ったことがあります。(ちなみに私の最終学歴は桔梗高卒なので専門的には全く分かりません。)
 現在の日本は、電力の需要が年々増加し、政府のエネルギー政策として原子力を推進していこうとしています。それは電力が不足するから限りある原油を使い切る前に、代替のエネルギーに転換するといった、ごく当たり前な考え方です。しかしこの考えは、右肩上がりの経済成長をしてきた頃の「既成概念」から来る考え方です。ここで発想を転換し「電力が不足するなら、使わない方法を」と考えたらと提案しました。
例えば原子力の開発をしている予算の一部を、現在の100分1の電力消費の商品の開発を行うメーカーに対して開発支援金を支給するとか、その製品の購入者には補助金を出すとか、電力消費の大きい製品には課税を大きくして開発費や補助金の基金にしたりすればより効率的になるのではないか、等を話し合いました。
 なんと彼はそれを論文にまとめ、上司に提出しました。すると上司の言葉はこんな感じでした。「お前は原子力を推進することに専念したら良いのであり、そんなつまらんことで時間を潰すな」と。TVの世界だけと思っていた役所的な考え方の典型でした。
 その後、彼は各省庁に配属されている8人の同期と、日本でごくほんの一握りしかなれないキャリアという肩書きにすがり付く「既成概念」とに別れを告げ、現在は東大の教授を目指して勉学に励んでいます。