年が明けて早いものでもう2月半ばになりました。毎年この時期になりますと、差し迫った受験の話題がよくあがります。私は何度も申し上げますが、学生時代に勉強というものをやった記憶が殆どありません。今になって強く思うのですが、その時になぜ私の親は強制的でも勉強させて良い大学に入れてくれなかったのかという恨みが残ります。というのは全くの冗談ですが、その時に万一強制的に勉強を強いられていたとしても、私には殆どその勉強は身についていなかったことでしょう。子供というのは親から強制的に「勉強しなさい」と言われてしたとしても、身に付かないとよく言われます。であれば、その対策として簡単な方法でよく言われることですが、反対の事を言うとさせたい方向に向わせやすいと言われます。
しかし、これはやり方を間違えると本当に反対の方向に向かってしまいます。例えば、キャンプの際に、遊んで料理作業をしない子供に「皆が一生懸命にやっているときにお前だけ遊ぶなら遊んどけ。その代り当たり前におまえの晩飯は無いからな。お前が腹減った言うても誰も相手にせーへんから。ほら、遊べよもっと。ほら、遊べって!」と言うと、最後までしっかりと一生懸命に料理します。しかし、「いいよ、遊んどいて」だけ言うと、初めはしますが、その内またサボり出します。要は、それをしなかったらどういう風に自分が損をするのか、ということを子供が理解、納得できるように話すことです。今自分がしていることが「何故必要なのかを考える癖」をつけることで、自分で理解、納得したことは、ほんの少しの手助けをしてあげるだけで、自ら行うようになりますし、何よりも自分の身になってきます。
しかし、そんなことを頭で分かっていても、なかなか上手くいかないものですよね・・・。
しかし、これはやり方を間違えると本当に反対の方向に向かってしまいます。例えば、キャンプの際に、遊んで料理作業をしない子供に「皆が一生懸命にやっているときにお前だけ遊ぶなら遊んどけ。その代り当たり前におまえの晩飯は無いからな。お前が腹減った言うても誰も相手にせーへんから。ほら、遊べよもっと。ほら、遊べって!」と言うと、最後までしっかりと一生懸命に料理します。しかし、「いいよ、遊んどいて」だけ言うと、初めはしますが、その内またサボり出します。要は、それをしなかったらどういう風に自分が損をするのか、ということを子供が理解、納得できるように話すことです。今自分がしていることが「何故必要なのかを考える癖」をつけることで、自分で理解、納得したことは、ほんの少しの手助けをしてあげるだけで、自ら行うようになりますし、何よりも自分の身になってきます。
しかし、そんなことを頭で分かっていても、なかなか上手くいかないものですよね・・・。