私は昔から、何事をするにも頭は使わず、体を使ってやってきたほうでしたが、最近はかなり体力も衰えてきてますので、少しは頭を使うようにしてきています。私が学生時代野球をやっていた事は以前に申し上げましたが、その練習量たるものハンパない運動量で、例えば授業が終わってダッシュで着替えたら、まず学校の周りを10周走り、その後腹筋200回、背筋200回、腕立て100回、ダッシュ50本、スクワット200回・・・etcこれが基本の運動で、日によってスクワットが1000回になったりダッシュが200本なったりと、本当に「バカ」がつくほど運動させられ?ました。やっている間は、物凄く辛く、その指示をしている上級生を恨んだり(すいません、許してください)したものですが、その運動の甲斐?あってか、本当に物凄い筋肉が体につきました。それだけ人の一生いや、二生か三生分くらいの運動をしたものですから、学校を卒業してすぐに私は、私の辞書の中から「運動」という文字を消却してしまいました。
しかし、今になって思えば、それだけの運動をこなした私は、「成し遂げる精神力」が自然と備わったことに気付きました。運動というのはダッシュや腕立てのように短期で大きな力を出すものと、マラソンなどのように長く持続しないといけないものとあります。どちらも辛いことは辛いのですが、どちらにせよ最後までやり切るというのが大事であり、また本人の意地でもあると思います。しかし、その辛い状況を楽しめる人など殆どいない中で、私は今にも止めてしまいたい気持ちをある考えをすることでいつも耐えることができました。それは「今のこの辛い状態は、絶対に終りが来る。終りが来ないことのほうがおかしいもん。この前もまたその前も、あの時はホンマしんどかったなぁと言えた時が来たもん。そう思える時を楽しみに、がんばろ。」と・・・。
しかし、今になって思えば、それだけの運動をこなした私は、「成し遂げる精神力」が自然と備わったことに気付きました。運動というのはダッシュや腕立てのように短期で大きな力を出すものと、マラソンなどのように長く持続しないといけないものとあります。どちらも辛いことは辛いのですが、どちらにせよ最後までやり切るというのが大事であり、また本人の意地でもあると思います。しかし、その辛い状況を楽しめる人など殆どいない中で、私は今にも止めてしまいたい気持ちをある考えをすることでいつも耐えることができました。それは「今のこの辛い状態は、絶対に終りが来る。終りが来ないことのほうがおかしいもん。この前もまたその前も、あの時はホンマしんどかったなぁと言えた時が来たもん。そう思える時を楽しみに、がんばろ。」と・・・。