先日仕事を終えて、乗ってきた車に戻ったところ、駐車違反のシールが張られていました。そこは歩道に設置してある機械に300円投入するとシールが出てきて、それをフロントガラスに貼っておくと1時間は駐車違反とならない場所でした。私は当然に300円を支払いフロントガラスに貼っていたのですが、時間が長引き40分ほど超過していた段階で駐車違反監視員の目に留まったのでしょう、すかさずシールが張られたのでした。確かに私は1時間しか止められない場所に1時間40分もの間駐車していましたので、違反であるとキップを切られても当然だとは思いますが、何かしら釈然としない、また納得の出来ない気持ちでした。
取り締まられる側からすれば、最初にお金を払ってるんだからこれくらいは大目にみてくれよという気持ちになりますが、反対の立場で考えれば、一定の基準を設けてそれを超えるものは取り締まらなければ、何を基準に取り締まればいいか分からないはずなので、当然のことではあると思います。しかし、その事を分かっていても、(こんな事は調べれば分かることですが、気持ち的な事として)そもそも個人の所有でもない天下の公道に誰が1時間だけ停めていいと許可して、誰が何の権利でお金を徴収して、違反したからと誰が何の権利でキップを切るんだ、と思ってしまいます。
しかしそういった考えは、人間の身勝手さから来るもので、立場によって人はやる事も、考える事も逆になる事があります。今まで取り締まられる立場であった者が、取り締まる立場になった途端に、正当な事を主張する事が良くあります。それはそれで社会生活を営む為には大変重要な事で、逆にそうならなければ社会自体が成り立たなくなってしまいます。そういう社会の仕組みを全て理解できれば、違反や争いは減ることでしょう・・・。
取り締まられる側からすれば、最初にお金を払ってるんだからこれくらいは大目にみてくれよという気持ちになりますが、反対の立場で考えれば、一定の基準を設けてそれを超えるものは取り締まらなければ、何を基準に取り締まればいいか分からないはずなので、当然のことではあると思います。しかし、その事を分かっていても、(こんな事は調べれば分かることですが、気持ち的な事として)そもそも個人の所有でもない天下の公道に誰が1時間だけ停めていいと許可して、誰が何の権利でお金を徴収して、違反したからと誰が何の権利でキップを切るんだ、と思ってしまいます。
しかしそういった考えは、人間の身勝手さから来るもので、立場によって人はやる事も、考える事も逆になる事があります。今まで取り締まられる立場であった者が、取り締まる立場になった途端に、正当な事を主張する事が良くあります。それはそれで社会生活を営む為には大変重要な事で、逆にそうならなければ社会自体が成り立たなくなってしまいます。そういう社会の仕組みを全て理解できれば、違反や争いは減ることでしょう・・・。