慣れ

 少し考えてみますと、普段何も感じないことでも、結構すごいことをやっていたり、やってもらっていたりすることが多いことに気付きます。例えば新聞ですが、朝起きれば休刊日でない限り、毎日ポストに配達されています。この新聞というものは優れもので、その日のテレビの番組表から昨日あった事件、政治や経済の記事に家庭向けの記事、住んでいる地域の情報に企業やお店のチラシなど、月刊誌や週刊誌とは違ったタイムリーな情報の宝庫であるにもかかわらず、毎月3,000円程度で自宅まで毎日届けてもらえるという媒体です。この新聞の製作に一体何人の人がかかわっているのはわかりませんが、これだけの情報を毎日更新するわけですから、相当の数であることは確かです。更には折込まれるチラシにも、その数だけかかわっている方がいまして、例えば今皆さんが読んでいただいているこのチラシを作成するのにも、何人もの方の手がかかっています。
 また逆に何気なくやっているすごいこととして車の運転なんかも挙げられます。これもよく考えてみれば、今でこそ少なくなってきましたが、ほんの15年前くらいまではミッション車が必須の教習であったように、世界一速く走る人の数倍ものスピードで走る鉄の塊を、右足でアクセルを踏みながら両手でハンドルを握り、あるスピードに達したら左足でクラッチを踏み、同時に素早く左手でギヤチェンジし、右のウィンカーを出してハンドルを切るという、文章にするととても複雑な作業をほとんどの方が難なくこなしていたりします。
 そんなことでも不思議なもので、人は「慣れ」てしまうと何とも思わなくなります。しかしその「慣れ」はともすれば、本来感じなくなってはいけない感謝の気持ちや罪悪感、驚きや悲しみなども「慣れ」ることによって感じなくなってしまいますね・・・。