得手不得手

 唐突ですが、大変お恥ずかしい話、私は人のお名前を覚えることが非常に苦手です。一度お会いした方のお名前を忘れてしまうことは勿論の事、極端な例を出すと、一緒に働いている目の前にいる人に声をかける際に名前が出てこなくなったり、来客などの名刺交換する際に、こちら側の人物を紹介しようとした時、急に頭が真っ白になったりすることがあります。そんな時は、なんとなくごまかしてその場を取り繕いますが、相手も「こいつ自分の名前が出てこないな?」と察知されていることもあります。ですから一度会っただけで、その人の名前をしっかりと覚えている人に出会いますと、「すごい!」と心から尊敬してしまいます。(誤解が生じると困りますので、ひとつ言わせていただくと、その方の存在を忘れているのではなく、単に名前を忘れているだけで、顔や「どこのどんな人」ということは当然覚えています。)
 しかし、人の記憶力と言うのは誠に身勝手なもので、先述のように私はすぐに人の名前を忘れてしまうのですが、大好きな「車」関係のことは一度聞いたらどれだけ難しい単語でも一発で覚えてしまいますし、ほぼ忘れもしません。その違いの理由を興味があることと無いことだと仮定すれば、名前を忘れるということは、その人に興味が無いということになりますが、私の場合ほぼ全ての人に共通していますので、車には興味があるが人間には興味が無いということになってしまいます。しかし私自身としては全くそのようには思ってはいませんので、一度理由を突き詰めて考えてみたいものです。
 そんな私だけに限らず大体の人には得手・不得手というものが必ずあります。しかし当然に人としては不得手が少ないほうが、何をするにも有利になります。ですから昔私は不得手なものを重点的に直す努力をしました。そして不得手なものを苦労して、つらい思いをして「人並み」になるまでに相当の労力と時間を要しました。しかしそのときに思ったのが、確かに不得手がなくなればいいのは当然としても、人間は完璧にはいかないものと開き直ってしまえば、不得手は不得手として認識してそれを補える人と一緒に行動し、逆に自分は得手を「人並み以上」に伸ばしていけばいいのではないか。そうすると同じ時間と労力を「人並み」を作ることより、「人並み以上」を作ることのほうに費やしたほうが効果的ではないかという風に考えました。
 考えてみましたら、不得手を克服するのはつらいですが、得手を伸ばすのは逆に楽しかったりしますので、「楽して才能を伸ばす」と言えるのではないでしょうか・・・。