いじめによる自殺

 ここ最近、いじめによる自殺報道が連日報じられています。今までも、いじめによる自殺は確かにありましたが、最近の件数の多さは家庭環境の変化や社会情勢が変ったと言えども異常な件数と言えます。
 有識者やジャーナリスト、芸能人や評論家の方たちは、連日TVや雑誌などで意見を交わし、何とか早まった行動を取らないようにと呼びかけていますが、それによって減るどころか次々と自殺者が出てきています。その中で一部の人たちは、報道する事によって余計に心理を煽り、自殺へと導いているのではないかという意見も言われていますが、その傾向は確かに無いとは言えませんが、逆にそういったことをしないようにメディアを通じて訴えていく事も重要なので、どちらが正解なのかは一概には言えないことだと思います。ただはっきりといえるのは、全部がそうだとは言いませんが、報道の仕方や伝え方が「芸能人の誰と誰が付き合っている」であるとか「この人がこんな事件を犯しました」などという興味本位で構成されているものと同じようになっているために感覚が麻痺してきて、「いじめられた=自殺」という図式が出来上がってきます。そして、もし私がその子達と同じ状況だとして自殺予告を宣言してしまえと決心する理由には「どうせ死ぬなら同じように皆に自分の状況を分かってもらって死のう。」となると思います。ですから伝えなければ問題となっている事に誰も気づかず、伝えれば伝えたで伝え方によっては前述のような事になるので伝え方というのは非常に重要だと痛感させられます。
 その中で、伝え方をより良い方向に持っていくにはどのようにしたらいいかと私なりに考えましたら、「事の本質」から掘り下げてその中で「できる事」をシンプルに捕らえることが重要だと思いました。諸悪の根源はは「いじめ」ですが、いじめに係わる双方の捕らえ方の違いや、人間の持って生まれた性質から考えていじめを無くすことは不可能に近いことであると判断すれば、「いじめをなくそう!」と表面的な事を訴えるのではなく、いじめがあるという前提で考える必要があるように思えます。いじめられて自殺宣告をする気持ちの奥底には、本心では「自殺宣告したら、もしかしたら自分を見つけ出してくれて、救ってくれるかもしれない。」と願っている気持ちがあるはずです。
 それを受入れ相談できる窓口をもっと増やしたり、その存在を今以上にアピールしたりする事やまた、相談したら仕返しをされるという悪循環を無くす為の方策や、いじめにあっている原因の追究と自覚がさせられるような相談員の教育や権限制度の導入を図るべきではないかと、第三者である責任の無い私は思います・・・。