平等な時間

 イチロー、松井秀喜、宮里藍、タイガーウッズ、中田英寿etcそれぞれのスポーツの世界でトップクラスの人たちです。ここに名前を挙げさせていただいたのはあくまでもスポーツに関する方たちばかりですが、それ以外の世界にも秀でた人達が沢山いらっしゃいます。そんな人たちの活躍を見ているだけで感動や感心、感激を与えてくれます。そしてこれらの人たちはその持って生まれた才能を、それらが発揮できるステージで十分に活かし切り活躍されています。
 そんな人たちの雑誌やTVなどでの談話を見ていると、話す事にも説得力があり、ついつい入り込んでしまいます。そのお話しの中で大体共通している事は「負けん気が強い」性格です。それは直接言葉で言わなくても言葉の端々で感じられますし、またその「負けたくない」対象は、他人であったり自分であったりします。
 そんな自分の負けん気を満足させる為に、それらの人は人並み以上の努力を惜しんでいません。ただ他人から見て「ようそこまで努力できるわ」と思うような事でも、当人にとっては、「負けん気」を満足させる為の努力なんてものは努力でもなんでもなく、一つの目標に達したときの満足感のほうが勝っているが為に、そんな努力を楽しみながらやっているようにすら見えます。
 人は皆誰しもが他人や自分に負けたくないと心の奥底では思っているはずですが、それが現実的に行動に出して実行できるかどうかの違いで、私のような凡人との差が出てきてしまうのでしょう。それを身近に例えるなら、20代の頃の体型を取り戻そうとか、健康の為に痩せなければとダイエットを始めたとしましょう。初めは、決めた事だからやり遂げるぞと「言葉」で発していても、心の奥底では嫌々ながらやっているので、しばらくすると何かの理由をつけて休んでしまいます。それは今の辛抱と、目標が達成されたときの満足感を天秤にかけて、どちらが自分にとって大きい事柄なのかを計ると、目標の達成感が小さいがためにズル休みをしてしまうのだと思います。ですから簡単に言うと、目標の達成感が自分にとってどれだけ大切か、どれだけ重いかで、他人からは努力に見えても、自分にとっては努力で無くなるということです。
 よく「人間はみな平等だ」といわれます。しかし私はどう考えても人間は生まれながらにして不平等だと思っています。家庭環境や身体能力など、生まれながらにして差が出ています。でも良く考えてみますと、先述まで勝ち負けのような事を書いていますが、別に何を持って勝ちなのか負けなのかは、それぞれの考え方や立場によって異なるのは当然です。お金があったり、身体能力が高い方が「勝ち」と思っているから不平等と思うのであって、そんな事で満足感が得られない人には違う事で満足感を得ればいいと思います。ただ、自分の満足感はそんなもので得られない、そんなにがんばらなくてもと、言葉だけ「諦め」ているのであればもっとその分野でがんばった方がいいと思います。
 最後に、神様が一つだけ人に平等に与えてくれたものがあると私は思っています。それは「時間」です。その時間をどう自分にとって有効に使えるかどうかどうかが、満足のいく人生を送れるかどうかのポイントではないでしょうか・・・。