JR福知山線脱線事故

 JR福知山線の列車脱線事故については、もう皆さんもいろんな報道でよくご存知のことと思います。事故が発生してすぐに各マスコミがいろんな「憶測」から「真実である」かのような報道がなされ、また番組内では鉄道ジャーナリストなる方が、ああでもないこうでもないと、事故の状況や原因などについて「憶測」で語っていました。
 私は、この事故がおきてすぐに、このコラムにこの事を書こうかと思いましたが、今後マスコミの「報道」がどうなっていくのかをある程度見届けた上で思ったことを書こうと思い、敢えて今まで書かずにおきました。
話は変わりますが報道被害事件の代表として思い出すのが、かなり以前にあった(旧)オウム真理教が犯行に及んだ「松本サリン事件」です。この事件が起きたとき、第一発見者で被害者でもある河野義行さんを、警察の誤認捜査をあたかも犯人の取調べを行っている事として取り上げ、そしてその結果マスコミの「憶測」で犯人として報道し視聴者に誤認させました。奥さんも意識不明の状態の被害者であるにもかかわらず散々非難の的となった挙句に、事件が起きて半年も経ってからはじめて被害者である事が分かりました。その後TV局各社は特番を組み、自身の業界の反省の意と共に、視聴者に対し今後のTV報道のあり方などについて決意を表しました。ある局では、朝の名物である「ワイドショー」を取りやめる局があったりと、業界が反省をしている感が視聴者である私にも伝わりました。
 その後数年経ち、事件や事故、戦争など毎日色々な報道がされています。しかし、あれだけ視聴者に対し誓った当時の決意や反省は徐々に姿を消しつつあり、また違った形で以前と同様の過ちを犯そうとしています。それが先述の「JR福知山線脱線事故の報道」です。
 JR西日本の安全管理の体制、また職員一人一人の意識などについて、当然にも責められるべきところが数多くある事は、今回の事件が発生した事によりはっきりとします。その真実の報道はマスコミがその報道の自由の権利を如何なく発揮し、視聴者に伝えるべき義務があると思います。しかし、今回の報道の中身はなんなのでしょう。当然悪い事は当然悪いと言うべきです。ただ、悪いものを悪い悪いと叩くだけで何の解決ができるのでしょうか?マスコミの立場は中立のはずです。一方に偏った自身の意見で報道するのは真実の報道ではありません。また、責めるだけの報道も報道ではありません。報道というものは、見たものが最も影響されやすい媒体です。報道を「真実」を伝えることや、現状が改善される目的で使うものであり、興味本意の為に使うものでないと思います・・・。