常識非常識

 ある日常の何気ない話。
 「今日ね、結構混んでる電車に乗ったのよ。そしたら向かいの若い子がふんぞり返ってみんなの邪魔になるような座り方をしてたわけ。しかも通路に大きい荷物をドカッと置いて。そしたら私の隣に座ってきたオバサンがそれを見てその若い子に聞こえるくらいの大きな声で『あんな座り方して。もっとちゃんと座って、立ってる人に席譲ったらええのに。』って言いはったのよ。なんか結構強いオバサンやなと思ったけど、こっちも気持ちがすっきりしたわ。」とある人が言ってました。
 確かに外出すると電車の中や、街中などでいろんな人の行動を目にし、その人の振る舞いや、態度、言動などが気になったり、不愉快になったりする事が多々あります。それを私的に分析すると、どうやら人の心理としては、知っている人の前や、自分が誰で、どういう立場でといった事が分かる状況ですと、「常識的」な態度を心がけるようですが、それが関係のない人しかいない環境や、自分の立場や自分の存在を知り得ない状況、また周りに人がいない状況などでは、常識的な行動を取ろうとする気持ちが少なくなるようで、結果的に知らない人から見て「非常識」な行動をとってしまったりするようです。それとは逆に、その場面を自分に置き換えて考えても、自分にはできないだろうと思えるような親切な行動ができる人を見かけたり、相手の方の対応でこちらの気持ちが良くなる事があったりすることもあります。これは、本来誰しもがそういった行動を心では取りたいと思っているはずですが、中々そういう機会に遭遇しませんし、遭遇してもなかなか行動に移すことができません。
 ですから「非常識」な行いを見る確率と「良い行い」を見る確率では、「非常識」な行いを見ることのほうが高いといえると思います。でも、もしかすると人の行動というものは、良い事よりも悪い事のほうが心に残りやすいということも考えられますので、一概には言えませんけれど。
 最後に、冒頭の話に戻りますが、その会話の中で私が最後に一言。
 「そういう物事をはっきりと言える人って、逆に自分が知り合いとかと一緒にいたら、大きな声でしゃべったりして『非常識なオバサン』って思われていることも往々にしてあるんですよ。」と言うと、「そうそう、そのオバサンね。隣に座ってた知らない人に、その向かいの若者の事やら何やらと、ペチャクチャペチャクチャ喋ってて、非常識やって言っているあんたも今は、非常識になってるやろ、と思ったわ。」と言っていました。
 本当によく言ったもので、「人の振り見てわが振り直せ」ですね・・・。