最近ある路上で、駐車違反のレッカー移動をしている場面に遭遇しました。駐車違反というのは、交通の妨げや交通事故を誘発することとして当然ドライバーとして、してはいけない行為だとは思いますが、世間では「運が悪かったな」という風な考え方で捉えられたりしています。それらはスピード違反や、シートベルトなども同様のことです。
そんなことを仕事場で話していますと、駐車違反の話の中である人が「違反車をななめで持っていっているときあるよね」と発言しました。それを聞いて私は「ななめに??」と、そんな持って行き方してるかなぁと発言した本人に聞いてみたところ、思い違いが発覚しました。
私は、「ななめに車を引いていく」と言われて、水平方向にななめに引いていく事(真上から見て進行方向に対し、ななめを想像したのですが)、発言者の意図は車の前方を引っ張り上げて引いていく事を言っていたようで、それは横から見て「ななめに」なっている状態の事でした。そのお互いの思い違いが分かり爆笑していたのですが、それは私の方が普通の捉え方をしていないにせよ、日常の会話の中でよくある光景に思えます。
あとでよく考えてみますと、それは話している相手方を自分がどういう風に思っているかや、自分自身が経験してきたもの、また日常身近にある出来事や、家庭環境や趣味などによって、同じ言葉や単語でも取り方によって全く別の意味に捉える事があることを思い出しました。
例えば単語として有名なところで「あほ」と「ばか」なんかは、関西と関東の方で感じ方が逆になります。関東の方は関西で何気なく使っている「あほ」を言われると、本当に馬鹿にされたように捉えるようで、逆に関東の方がよく使う「ばか」は関西人には「あほ」と言われるより馬鹿にされたように感じます。また、言い回しの違いからは、関西ではファイルなどを相手に手渡して「なおしといて」と言えば、しまってくれますが、関東で「なおしといて」と言うと、暫しファイルを眺めてから「どの部分を訂正するんですか?」と言われたりします。更に相手によって変わることとして、自分よりも人生経験が豊富で尊敬できる人から「まだまだ勉強が足りんな」と言われると、言われたほうも「自分はまだまだやな」と素直に取れますが、そう思っていない人に言われると「何でお前に言われなあかんねん」となります。
そう考えると、地球上の他の動物では使うことのできない、意思を伝える為の最強の媒体としての「言葉」は、時として発言者の意図しない取り方をされる危険性がある事を、もう少し認識しなければと思いました・・・。
そんなことを仕事場で話していますと、駐車違反の話の中である人が「違反車をななめで持っていっているときあるよね」と発言しました。それを聞いて私は「ななめに??」と、そんな持って行き方してるかなぁと発言した本人に聞いてみたところ、思い違いが発覚しました。
私は、「ななめに車を引いていく」と言われて、水平方向にななめに引いていく事(真上から見て進行方向に対し、ななめを想像したのですが)、発言者の意図は車の前方を引っ張り上げて引いていく事を言っていたようで、それは横から見て「ななめに」なっている状態の事でした。そのお互いの思い違いが分かり爆笑していたのですが、それは私の方が普通の捉え方をしていないにせよ、日常の会話の中でよくある光景に思えます。
あとでよく考えてみますと、それは話している相手方を自分がどういう風に思っているかや、自分自身が経験してきたもの、また日常身近にある出来事や、家庭環境や趣味などによって、同じ言葉や単語でも取り方によって全く別の意味に捉える事があることを思い出しました。
例えば単語として有名なところで「あほ」と「ばか」なんかは、関西と関東の方で感じ方が逆になります。関東の方は関西で何気なく使っている「あほ」を言われると、本当に馬鹿にされたように捉えるようで、逆に関東の方がよく使う「ばか」は関西人には「あほ」と言われるより馬鹿にされたように感じます。また、言い回しの違いからは、関西ではファイルなどを相手に手渡して「なおしといて」と言えば、しまってくれますが、関東で「なおしといて」と言うと、暫しファイルを眺めてから「どの部分を訂正するんですか?」と言われたりします。更に相手によって変わることとして、自分よりも人生経験が豊富で尊敬できる人から「まだまだ勉強が足りんな」と言われると、言われたほうも「自分はまだまだやな」と素直に取れますが、そう思っていない人に言われると「何でお前に言われなあかんねん」となります。
そう考えると、地球上の他の動物では使うことのできない、意思を伝える為の最強の媒体としての「言葉」は、時として発言者の意図しない取り方をされる危険性がある事を、もう少し認識しなければと思いました・・・。