ガン

 彼は、私と知り合ったときから貧血症だったようで、学生時代の野球部の練習のランニングや基礎体力運動をしているときには仲間からいつも一人遅れていました。また彼は、自己主張が強くなく、人の言うことを良く聞くと言うか、何でも人の言うことを訊く性格で、どちらかと言えば目立つ存在ではありませんでした。
 そんな彼が、ある友人からの電話で入院したということを聞き、また別の学生時代の友人とともに早速お見舞いに行ってきました。病室で10年ぶりくらいに再会した彼は、頬が痩せこけ、腕は枝のようになり、お腹はパンパンに腫れていました。もうお分かりと思いますが、彼の病名は「ガン」です。私は久々に再会した彼のその姿に、一瞬言葉を失いましたが、その姿とは裏腹に「お~、やっさんひさしぶり~。」と非常に明るく声を掛けてもらったので、こちらとしても普通に話をすることが出来ました。
 病院を後にした友人と私は、「ガン」を告知された彼の心境や、その事実、また自分たちが何をしてやれるのかなど、色々と話をしましたが、やはり心の中に何か重たいものを抱えてやりきれない気持ちになりました。
 私は今、仕事の都合で名張へは週に1回程度帰るという生活のため、帰ってくる度に彼に会いに行きました。会う度に本当は何か気の利いた話でもしたいと思うのですが、実際には取りとめのない話をしてしまい、帰ってから何とも言いようのない気持ちになりました。そんなある日、一週間前まで元気に座って話しをしていた彼が、前日にベットから起き上がれなくなったようで、少し弱音を吐いていました。私は本人の辛さや、死への恐怖や不安など分かるはずもないのですが、やはり気弱になっている彼に何か元気つける言葉を、と思い話し始めました。
 「人間というのは本当に願ったことは実現するはずや。それは願望も然り、生きたいと思う願いも然り。本心でそう願うなら今がんばれるはずや。それが辛いと思うなら、その願いは本物で無い証拠やで。だから一週間後にまた来るから、そのときはベットに座って「おう!」と迎えてや」
そんな話の後に彼は尿意をもよおしたらしく、動かない身体を何とか動かそうとしました。その時私は、「詰所行って看護士さん呼んで来たるわ」と反射的に言ったところ彼は「こういうのを自分でするという気持ちになんと、アカンねんな。溢してでもがんばるわ」と起き出そうとしました。
 それを見て、偉そうなことを言う事は言えても、本筋は何も分かってないぞ、と猛烈に反省させられました。そして私はそれ以上何も出来ないまま、会う約束の日の朝、彼は天に召されてしまいました・・・。