ごんぎつね

 先日、昼食のために入った馴染みの中華料理屋さんで、何気なく見た新聞のコラムに「ごんきつね」のことが書いてありました。この物語は、「新美 南吉」という作家が昭和6年頃に執筆した作品で、今では皆さんも良くご存知のお話です。
 そのコラムを読んだ後、よく考えてみましたら、「ごんきつね」の物語をちゃんと読んだことがないことに気づいたので、その物語を無性に読みたくなり、すぐに書店へ絵本を買いに行きました。本を買って車に乗り込み、車内ですぐに読みました。(その姿は、平日の日中に、スーツ姿のオヤジが車の中で絵本を読んでいるという、面白い光景だったと思います。) 
 読み終わった後、なんとも言えない気持ちで車を走らせました。「ごんきつね」にしてみれば、表面的には罪の償いをしているんですが、恐らく心の奥底では、自分の功績を認めてもらいたいという気持ちがあり、そんな気持ちがあったからこそああいう結果になったのではなかろうかとか、それは自分自身に当てはめてみて色々と考えさせられました。
 いつも思うことですが、童話や昔話というのは、夢がいっぱいつまっている反面、大人から見てキツイ内容のものが多くあります。前述の「ごんきつね」もそうですが、「鶴の恩返し」なども自分の羽をちぎって機織りをしていることや、「さるかに合戦」では青い柿を投げつけられた親カニが、子供の前で殺されてしまうことや、「シンデレラ」なども相当ひどい仕打ちを受けている女の子の、あの境遇は想像を絶する程ひどいことや、「ありとキリギリス」では冬場にありに見殺しにされるキリギリスがいることや、「あかずきんちゃん」などは、なんと食べられたあかずきんちゃんを腹を切り裂いて助けるというグロテスクな内容になっています。
 そう考えると、日本では、アニメやヒーローものと同様に、昔話や童話は子供の読む本として定着していますが、それらの内容をよく吟味すると非常に奥が深く、大人でさえいろいろと考えさせられる物語が多くて、とても子供たちが楽しく読んで楽しく過ごすための物語にはなっていないものも多くあるように思えます。
 もしかするとそれらの作者の本当の目的は、子供へ読み聞かせる大人への戒めの為に、敢えてそういった内容にしているのかもしれません・・・・。