CM 1

 何の CM か忘れてしまいましたが、非常に心に残っている CM があります。
 それは、「雪の降る中、一人の女性が通りがかりの男性に何やら物乞いをしているようでした。男性はその後、待ち合わせしていた友人とバーで酒を飲みます。友人はその男性のやり取りを一部始終見ていたようで男性に訊ねます。「お前、あの女性にお金をあげたのか」と。さらに友人は「あの女性はいつもああやって人を騙してお金をもらっているんだぞ。お前も騙されたんだな。」と男性を笑います。すると男性は、「よかった。そうすると病気の子供は本当はいないんだ。」と嬉しそうに遠くに目をやりました。友人はその男性の言葉にバツ悪そうに苦笑いしていました。」
しかし皆さんこの男性の感性は凄いと思いませんか?私はこのCM を思い出すたびに心が洗われます。(当然TV の世界の出来事であり現実ではありませんが。)
 人に騙されたことより、自分が心配したまだ見ぬ見知らぬ子供のことが出てくるという、本当に心のきれいな人です。
 しかしなぜその男性はそのような考えになったのでしょうか。「友人に馬鹿にされたくない一心で苦し紛れの言い訳をした。」とか「自分の子供が病気で苦しんでいる。」とかいろいろ考えられますが、私としては「物乞いの女性が迫真の演技をしたからそういう風に考えたのであって、下手であれば「騙された!」と思うかもしれない。」と思いました。そう考えると、その男性の感性が素晴らしい事は当然として、私のような普通の感性の持ち主でも「迫真の演技」を目前でされ、それに心打たれてお金を渡したならそういう風に考えることもあるだろうと思いました。
 結局のところ人の考え方や感性というのは、その人の立場になってみて始めてわかるもので周囲からは理解できないことがたくさんあります。例えば「そんな苦労をよくやるよね」や「よくそこまで人のためにするよね」とか言われる人がいます。しかし、その人は周りが思うほど「苦労してる」とか「尽くしている」とかを思っていない場合が多く、その苦労や尽くすこととは違ったところでその人の「喜び」や「楽しみ」があるからこそやっている場合が多いようです。人間は精神的にあまり強い生き物ではなく、何事も「苦労している」と本心から思いながら長続きするケースは稀です。
 そういう考えの為か、私自身も「苦労」には滅法弱いので、何か大変そうな事を行う場合には、「同じやるなら楽しく」やったほうがいいに決まっているという考えの下、常に「楽しく」できるように環境や気持ちをもっていこうと努力しています。それが周囲の人達を巻き込んで、結果として良い影響を与える場合もあります。
 しかし、言うほど簡単なことではありませんが・・・・。