以前にも書かせて頂いたことがあるのですが、以前の自分の行動と今の自分の行動に大きな隔たりがある部分があります。例えば学生時代の私は、夏休み前にみんなが思ってもなかなかできない「夏休みの宿題を最初に終わらせてあとは遊ぶだけ」という誓いは毎年のように打ち砕かれ、新学期が始まってようやく観察日記などを捏造したり、人の宿題を丸写ししていました。それが何がどうなったのか分かりませんが、今では「やらなければいけない事」や「やっておいたほうが良い事」はすぐに取り掛かり、複数の案件があっても優先順位を付けて集中してこなしていくため、結果的に他の人よりも時間にかなりの余裕が生じてしまいます。また読書なども昔は「秀才さんのやること」と思っていましたので一切興味を示したことはなかったですが、今では会社の誰よりも本を読み、良かった本は人に勧めるようになりました。
なぜこうなったのかと考えますと、前者はまず一つに心配事が嫌いな「小心者」という私の性格が挙げられます。私は何せ後々面倒になるのが非常に嫌な性格なので、嫌なことは今すぐ片付けたほうが、残すよりも気持ちや体が楽であると悟ったからです。また後者は、人よりも優位に立ちたいという「見栄」が強いという事でしょうか、今までにない知識を得る事による「知る喜び」というのを人よりも感じやすいのだと思います。もしこういった事を学生時代に感じることができていたならば、私は今頃大学教授か、医師、または国家官僚になっていたかもという物凄い妄想をしたりしますが、冗談は抜きにして、今の私よりは良い学歴や経歴がついた可能性が高いでしょう。
そう考えますと、教育というのは知識や方法を教えるよりも、それをすることによってどんなメリットが自分にあるのかという事を教えることで、自ら進んでやるかどうかが決まるのではないでしょうか・・・。
なぜこうなったのかと考えますと、前者はまず一つに心配事が嫌いな「小心者」という私の性格が挙げられます。私は何せ後々面倒になるのが非常に嫌な性格なので、嫌なことは今すぐ片付けたほうが、残すよりも気持ちや体が楽であると悟ったからです。また後者は、人よりも優位に立ちたいという「見栄」が強いという事でしょうか、今までにない知識を得る事による「知る喜び」というのを人よりも感じやすいのだと思います。もしこういった事を学生時代に感じることができていたならば、私は今頃大学教授か、医師、または国家官僚になっていたかもという物凄い妄想をしたりしますが、冗談は抜きにして、今の私よりは良い学歴や経歴がついた可能性が高いでしょう。
そう考えますと、教育というのは知識や方法を教えるよりも、それをすることによってどんなメリットが自分にあるのかという事を教えることで、自ら進んでやるかどうかが決まるのではないでしょうか・・・。