私は結構【食】が好きなので、昔からよく美味しいものを食べに行きます。東京に住んでいた頃には納豆が食べたいと思ったら、わざわざ水戸まで納豆を食べに行ったり、今でこそ有名になりましたが、当時はどこも扱っている所がなかったので、のどぐろを食べたいと思ったら新潟まで食べに行ったりと、結構無茶なことをしたものでした。今では、宅配とネットの普及で日本中はもとより世界中のあらゆるものが、ボタンひとつで自宅まで届きますので、そんな無駄な行動をすることも少なくはなりました。そうして年齢と共に段々と美味しいものを食べていったある時、ふと気付いた事がありました。それは、今まで食べたものより美味しいものを一度でも食べてしまうと、次からは今までの食材では感動しなくなってしまう事です。それまでは【美味しい、美味しい】と喜んで頂いていたものでも、一度でもそれ以上のものを口にしてしまった途端、前には美味しかったものが普通の食材になってしまいます。そう考えますと、美味しいものを頂くというのは物凄くリスキーな事のように感じます。万一、若いときに自分には分不相応の高級でとても美味しい食事をしてしまうと、その後の分相応の食事では感動できなくなるということです。それと同じで、若いうちに分不相応の高級車に乗ったり、分不相応のアクセサリーや鞄などを持ったりする事も、その後、分相応になったとき、心のどこかに満足できない自分が存在したりします。
そうするとある人はとことん無理をしてそれらを所有するか、またある人は不満を持ちながら泣く泣く我慢するかのどちらかです。しかしごく希にその時の自分に分相応なもので何とも思わない人もいますが、恐らくその人は元々それらにはあまり興味がない人なのかもしれません。やっぱり人というのは、分相応が一番ですよね…。
そうするとある人はとことん無理をしてそれらを所有するか、またある人は不満を持ちながら泣く泣く我慢するかのどちらかです。しかしごく希にその時の自分に分相応なもので何とも思わない人もいますが、恐らくその人は元々それらにはあまり興味がない人なのかもしれません。やっぱり人というのは、分相応が一番ですよね…。