カテゴリー別アーカイブ: 2010

世界のトヨタ

 最近、日本が誇る「世界のトヨタ」が米国で社会的に批判の的になっています。アクセルペダルが戻らなくて事故死した方と警察との音声のやり取りや、急発進がもとで追突死した方の家族の悲痛な叫びの映像などが、米メディアでは毎日のようにトヨタ批判として報道されているようです。確かに車の不具合で事故を起こしたり、ましてや命を落とすなど、当然にそんなことはあってはならないことではありますが、それにしても少しばかりトヨタを批判しすぎだと感じてしまうのは、私がトヨタ車が好きで、また日本人だからなのでしょうか?
 また、全然別の事ではありますが、スポーツの世界で日本人が上位を占めていた柔道などの競技は、年々規則が日本人にとって不利になり、ついには上位に入ることすらままならない状況になっているものもあります。確かに柔道などはもともと日本の競技なので、日本人ばかりが強くても面白くないでしょうから、多少は日本人に不利に働くようにしたとしても、今のような状況になるまで改正しなくとも、などと思ってしまいます。
 また別の事で、これもよく出る話ですが、捕鯨反対を訴えているオーストラリア政府などは、自国民がクジラを食さない文化をもとに、クジラという哺乳類を殺して食すのはけしからんと、声高らかに訴えています。しかしその彼らは時に、農作物の保護のためにカンガルーの大量処分をしているという、それだけを見るとなんとも身勝手な意見に日本人は振り回されていたりします。
 結局そう考えますと、日本人というのは自分達のことは他の民族から非難さやすく、また非難されても相手の事を逆に指摘したりせずに、納得しようがしまいが自らをその境遇に合わせていくといった習性があるように思えます。そんな日本人の習性を美徳と捉えるか、頼りないと捉えるか、考え方次第ですよね・・・。

成し遂げる精神力

 私は昔から、何事をするにも頭は使わず、体を使ってやってきたほうでしたが、最近はかなり体力も衰えてきてますので、少しは頭を使うようにしてきています。私が学生時代野球をやっていた事は以前に申し上げましたが、その練習量たるものハンパない運動量で、例えば授業が終わってダッシュで着替えたら、まず学校の周りを10周走り、その後腹筋200回、背筋200回、腕立て100回、ダッシュ50本、スクワット200回・・・etcこれが基本の運動で、日によってスクワットが1000回になったりダッシュが200本なったりと、本当に「バカ」がつくほど運動させられ?ました。やっている間は、物凄く辛く、その指示をしている上級生を恨んだり(すいません、許してください)したものですが、その運動の甲斐?あってか、本当に物凄い筋肉が体につきました。それだけ人の一生いや、二生か三生分くらいの運動をしたものですから、学校を卒業してすぐに私は、私の辞書の中から「運動」という文字を消却してしまいました。
 しかし、今になって思えば、それだけの運動をこなした私は、「成し遂げる精神力」が自然と備わったことに気付きました。運動というのはダッシュや腕立てのように短期で大きな力を出すものと、マラソンなどのように長く持続しないといけないものとあります。どちらも辛いことは辛いのですが、どちらにせよ最後までやり切るというのが大事であり、また本人の意地でもあると思います。しかし、その辛い状況を楽しめる人など殆どいない中で、私は今にも止めてしまいたい気持ちをある考えをすることでいつも耐えることができました。それは「今のこの辛い状態は、絶対に終りが来る。終りが来ないことのほうがおかしいもん。この前もまたその前も、あの時はホンマしんどかったなぁと言えた時が来たもん。そう思える時を楽しみに、がんばろ。」と・・・。

受験勉強

 年が明けて早いものでもう2月半ばになりました。毎年この時期になりますと、差し迫った受験の話題がよくあがります。私は何度も申し上げますが、学生時代に勉強というものをやった記憶が殆どありません。今になって強く思うのですが、その時になぜ私の親は強制的でも勉強させて良い大学に入れてくれなかったのかという恨みが残ります。というのは全くの冗談ですが、その時に万一強制的に勉強を強いられていたとしても、私には殆どその勉強は身についていなかったことでしょう。子供というのは親から強制的に「勉強しなさい」と言われてしたとしても、身に付かないとよく言われます。であれば、その対策として簡単な方法でよく言われることですが、反対の事を言うとさせたい方向に向わせやすいと言われます。
 しかし、これはやり方を間違えると本当に反対の方向に向かってしまいます。例えば、キャンプの際に、遊んで料理作業をしない子供に「皆が一生懸命にやっているときにお前だけ遊ぶなら遊んどけ。その代り当たり前におまえの晩飯は無いからな。お前が腹減った言うても誰も相手にせーへんから。ほら、遊べよもっと。ほら、遊べって!」と言うと、最後までしっかりと一生懸命に料理します。しかし、「いいよ、遊んどいて」だけ言うと、初めはしますが、その内またサボり出します。要は、それをしなかったらどういう風に自分が損をするのか、ということを子供が理解、納得できるように話すことです。今自分がしていることが「何故必要なのかを考える癖」をつけることで、自分で理解、納得したことは、ほんの少しの手助けをしてあげるだけで、自ら行うようになりますし、何よりも自分の身になってきます。
 しかし、そんなことを頭で分かっていても、なかなか上手くいかないものですよね・・・。

年末年始

 今年もあっという間に年末年始が過ぎ、年が明けて早くも1か月が過ぎようとしています。個人的にはこの年末年始は、仕事納めをした後に高熱を出し2~3日寝込んでいまして、更に12月の初旬から胃腸の調子が悪く、それが年末年始にかけて最高潮になり、この飲む機会が多い時期に殆どお酒を飲めませんでした。
 恐らく多くの方も同じ経験があると思いますが、年末年始などの長期休暇に入るまでは全くと言っていいほど体の不調がなくとも、休暇に入った途端に高熱などで寝込むといったことは、何年かに一度必ずあります。これを自分なりに分析してみますと、仕事をしていたりして「気が張っている」状態では、体は不調を訴えず、休暇に入るなどして「気を抜いた」途端に寝込むような状態になったり、「気が張っている」状態では風邪などを引かない状況でも、「気を抜いた」途端に同じ状況で風邪をひいたりするように思えます。この様なことは昔からの言葉で「病は気から」というものがありますが、正にこの言葉がピッタリ当てはまる気がします。
 そんな「気」というものは(気功とかの気ではなく、気持ちの気です)私の経験的には人の健康に欠かせないように思いますが、今の日本の医療界では「気」をあまり重視せず、悪いところを切ったり取ったりする西洋医学が主流になっています。動物や植物には病気や怪我から立ち直ることができる素晴らしい自己免疫力というものがありますが、がん治療などで投薬のセオリーとなっている抗がん剤治療などは、自己免疫力を下げてがん細胞の活動を抑えるという私的に考えて本末転倒の治療をしていたりします。
 そのためか、完治の可能性が低いにもかかわらず、物凄く苦しい抗がん剤治療を続けている現状があります。一刻も早く自己免疫力を高めて治療をするという時代が訪れてほしいと願います・・・。

上海旅行

 昨年12月の半ば頃、会社の者と二人で某格安旅行会社の上海ツアーに参加してきました。この旅行は滞在中の食事が5回付いており(上海蟹も1匹付き)、リニアモーターカー乗車を含めた市内観光もすべて付いていて、3泊4日の代金ながなんと25,000円という超破格値だったものですから、旅行の内容そのものよりも、経済発展の目覚ましい中国上海を肌で感じてみたくて、参加しました。着いてまず驚いたのが、街中の人と車と自転車とスクーターの多さです。ガイドさんによりますと、群馬県と同じくらいの面積に人口2000万人が暮らしているらしく、どんな裏道を通っても電動自転車と電動スクーターは走っていましたし、何より驚いたのは、現地の人たちは交通ルールというものを全く守ろうとせず、大通りであろうと赤信号であろうと関係なしに、車を縫うようにして歩行者は堂々と渡っていますし、クラクション鳴らしっぱなしで自動車は走っています。また、今日は年末の買い出しか?と思うほどの大賑わいの市場では、日本ではあまり食さない川魚をはじめ、生きたハトやカモなども売られており、その人の多さと食材の豊富さに圧倒され通しでした。その市場の周辺では、路上で物を売っている店主らしき人たちが、トランプで博打をやっていたり、おばちゃん同士が掴み合いの喧嘩していたりと、人間味溢れる情景を堪能しました。
 そんな上海でも2010年5月に万博が開催されることから市内の至る所で突貫工事がされており、慢性的な渋滞が起きています。また近代化の進む超高層ビル街では、一部の裕福なジネスマンが高級なスーツに身を包み、高級車に乗って優雅に移動していたりします。
 そんな、両極端なライフスタイルが混在するこの地が、人と共にこれからどうように変化していくのかを、興味を持って観察していきたいと思いました・・・。