清原和博さん

 とうとう昭和の野球界のビックスター清原和博さんが現役を引退されました。以前のコラムでも書かせていただきましたが、私も一応中学校、高校と野球をやっており、清原さんや桑田さんと同学年だったので、県は違いますが、同じ年の大会に参加していました。一緒の大会といいましても、あちらは1年生からレギュラーどころか甲子園でバリバリ活躍していたのに比較し、私は甲子園どころか、たまたま1年生でベンチ入りはさせて頂きましたが、当然に補欠選手で、実力などはそれこそ雲泥の差でした。ですから接点など全くないのですが、同学年で同じ大会に参加していたというだけで、何故か勝手に誇らしげに思っていたりしたものでした。
 そんな清原さんが、引退するということは、先に引退された桑田さんの時もそうでしたが、今の自分の事と比較して、私にとっては残念という気持ちよりも、よくぞここまで、よくぞこの年まで現役を続けられたという思いで一杯です。他には同学年ではサッカー選手の中山雅史さんや一歳上の三浦和良さん、また横浜ベイスターズには4歳も年上の工藤公康さんなどをはじめとした諸先輩方や同輩などが、プロという選ばれし者だけが活躍できる場でまだ現役で頑張っておられます。そんな彼らの信条や言葉、生活などがメディアを通して伝えられる事を見聞きする度に、私のような一般人にはとても真似できない、言葉や信条、生き様が飛び込んできます。
 プロ野球史上残る数々の名誉、不名誉な記録を残した清原さんが、熱望していた巨人からの指名がなかった涙の入団に始まり、自ら栄光を掴んだ後、待望の巨人へ入団したものの故障に悩み、突然の戦力外通知を経験した後、人情に救われた野球人生を振り返り、引退に際し出た言葉。
 それは驕りや達成感、恨みや不満でなく、自分の周りの人々への心からの「感謝」の言葉でした・・・。