デスノート

 以前のコラムで「ブラジルの殺人請負会社」について書かせていただきましたが、それを考えていて思い出したのが、内容は違いますが日本映画の「デスノート」でした。最初私はこの映画のタイトルからホラー映画だと想像していたのですが全く違いました。この映画は主人公である刑事局長の有能な息子が、この世から犯罪をなくし、より良い社会をつくることを理想としてデスノートを使い犯罪者を次々と殺していく中で、それを阻止しようとする刑事局長の父や天才的な少年との戦いを描いたものでした。
 この映画の内容は、前述の殺人請負会社のように簡単に人を殺すということでは一致していますが、その対象者が「犯罪者」に限定し、目的が「よりよい社会を創るため」といった大義名分があります。(本当は映画と現実といった違いは当然にありますが)このことを無責任にあまり深く考えなければ、「いいことではないのか?」と私は思ってしまいますが、よく考えますといろいろと問題点が出てきます。確かに犯罪者に対し極刑を下すということは、犯罪発生率自体を低下させる要因になり、より住み良い社会になる可能性があります。しかし、どこまでの犯罪に対し極刑を下すのか、それを誰がどういう基準で何の権利で下すのか、また本当にその人が犯罪者であるのかどうかを誰が検証、判断するのかなど問題点はたくさん出てきます。
 こう考えますと、前述のデスノートの問題点はさておいていても、現在の裁判制度や刑法の内容などは仕方がないと言えばそうでしょうが、人が人を裁くという前提自体がいろいろな問題を発生させている要因になっているように思えます。もしこの世に神が存在するなら、もしこれが神が裁く前提であれば、もっと問題のない違った裁き方が存在するのでしょうか・・・。