音蔵

 少し前のことになるのですが、ある友人が「俺らで音楽のライブやるんで、ちょっと来てくれへん?」と誘いがあり出かけました。その友人は、仕事場の隅にあった「蔵」を音楽の演奏ができるように自分達の手で改装し、音楽をやりたい人達に低価格で提供しています。そんな中、自分達も何かやりたいと思ったのでしょう、先ほどの「ライブ」を開催したのでした。当然のことながら、観客はそのメンバーの友人・知人ばかりで、一般の観客などいなかったと思うのですが、そういったアットホームな中での「ライブ」は、それはそれで中々楽しめるものでした。
 そのライブが進んでいく中、ふと思うことが出てきました。それぞれのメンバーは当然の事ながら、日中は自分達の仕事を持っているため、全員での練習はその仕事の後の深夜に行っているようです。そして人前で音楽を披露するまでには、半年や1年の時間を練習に費やしているようで、失礼ながら私としては正直なところ、音楽を聴いたり楽しんだりということよりも、この忙しい中よくもそこまでやったものだと心底心打たれました。そのメンバーのほとんどは、以前から知っていましたので、彼らがどんな仕事をして、どれくらい忙しいかも分かっていましたので、余計にそう感じたのでした。そう思い彼らが演奏しているところを眺めていると、その狭い空間の中でのメンバー全員が本当に耀いて見えたのでした。
そう思った後、今度は逆にその耀いている彼らを前にして思いました。「俺は一体今、何をやっているんだ。自分自身のやりたいことで、これほど一生懸命に打ち込めるものはあるのか」と。そしてそれは何とも歯がゆい思いと、現在の自分自身と、彼らの現在とに大きく差をつけられているという思いに変わりました。自分はこれほどまでに耀いているのだろうか?自分はこれほどまでにやりたいことがあるのだろうか?思いは尽きなくなりました。
人は誰しも「ああなりたい、こうしたい」という願望はあります。しかしそれを現実のものにするための「行動」の第1歩を中々踏み出すことができません。それは自分の置かれている家庭環境であったり、経済的な環境であったり人それぞれです。しかしよく観察しますと、現実に行動している人は、自分自身の環境と比べてみても、恐らくそんなに大きく環境が違っているわけではありません。それは何か。今まで見ていて感じること、それは「やる気」の違いではないでしょうか・・・・。