私が学生の頃、大人に「いまどきの子は…」とか「最近の子は…」などとよく言われたものでした。しかし最近私の友人と話をしていると、昔にそう言われていたヤツらが「今の奴等は」と言っています。
いつの時代も大人たちは、自分の過ごしてきた時代背景や、環境が違う若者を見るとどうしてもそういう言葉を発したくなるのでしょう。
また、学生の頃に「まだまだ若いな」と言われた時は、「こんな大人にはなりたくない」と強く思い、その言葉に反発したものですが、成人したての頃に「まだまだ若いな」と言われた時は「おお!こんな大人になりたい」と逆に憧れたことを思い出します。そのとき感じた「大人」の像は①すぐ感情的にならない ②大きな心で人を包み込む ③人生経験が豊富 など、到底その当時の自分にはないものばかりでした。「大人」とは読んで字の如く「大きな人」で、自分はそれを目標にしようと努力したものでした。
そんな中、その当時から比べると少しだけ社会経験も積み、人との関わり合いも経験し、少し社会というものが見えてきた今、世間で言われている「大人」の定義の一部は少し違うのではないかと思うようになってきました。
例えば、すぐ感情的になってしまう人に対し「おとな気ない」と言い、それを抑えられる人を「大人ですな」と言います。それは取り方を変えてみれば、物事に対する情熱が薄れているとも言えますし、争う必要のある時に争えなくなっているとも言えます。しかし、全面的に「大人の定義」を否定しているわけではありません。「大人」という世間に認められた枠の中の、ある一部の隠れ蓑を使って、意見を言うべき時に言わず、感情的にならなければならないときに、自分を押し殺している場合があるのではないのかと思うようになりました。
そう考えると、今の自分より学生時代の自分のほうが人間的に魅力があったのではとも思えますし、「いまどきの大人」より「いまどきの子供」のほうが人間的に魅力的だと考えるほうがいいのかもしれないと思うようになりました。
しかし、当然のことではありますが、本来の意味での「大人」はすごく魅力的です。その魅力的な「大人」に成るべく努力していこうと思う今日この頃です・・・。
いつの時代も大人たちは、自分の過ごしてきた時代背景や、環境が違う若者を見るとどうしてもそういう言葉を発したくなるのでしょう。
また、学生の頃に「まだまだ若いな」と言われた時は、「こんな大人にはなりたくない」と強く思い、その言葉に反発したものですが、成人したての頃に「まだまだ若いな」と言われた時は「おお!こんな大人になりたい」と逆に憧れたことを思い出します。そのとき感じた「大人」の像は①すぐ感情的にならない ②大きな心で人を包み込む ③人生経験が豊富 など、到底その当時の自分にはないものばかりでした。「大人」とは読んで字の如く「大きな人」で、自分はそれを目標にしようと努力したものでした。
そんな中、その当時から比べると少しだけ社会経験も積み、人との関わり合いも経験し、少し社会というものが見えてきた今、世間で言われている「大人」の定義の一部は少し違うのではないかと思うようになってきました。
例えば、すぐ感情的になってしまう人に対し「おとな気ない」と言い、それを抑えられる人を「大人ですな」と言います。それは取り方を変えてみれば、物事に対する情熱が薄れているとも言えますし、争う必要のある時に争えなくなっているとも言えます。しかし、全面的に「大人の定義」を否定しているわけではありません。「大人」という世間に認められた枠の中の、ある一部の隠れ蓑を使って、意見を言うべき時に言わず、感情的にならなければならないときに、自分を押し殺している場合があるのではないのかと思うようになりました。
そう考えると、今の自分より学生時代の自分のほうが人間的に魅力があったのではとも思えますし、「いまどきの大人」より「いまどきの子供」のほうが人間的に魅力的だと考えるほうがいいのかもしれないと思うようになりました。
しかし、当然のことではありますが、本来の意味での「大人」はすごく魅力的です。その魅力的な「大人」に成るべく努力していこうと思う今日この頃です・・・。