珈琲

 「朝目覚めると、寝室の出窓から朝日が差込み、小鳥のさえずる声が聞こえてきます。キッチンからはドリップしているコーヒーの香りが漂ってきて、さわやかな朝のひと時が始まります。」
 こんな映画のワンシーンのような朝を迎えてみたいものですが、現実的には、せわしなくバタバタした朝を迎えることがほとんどです。しかし、そんなシーンには「珈琲」というアイテムは欠かせないもののように思いますが、私の場合「珈琲」というものがどうも体に合わないらしく、飲んだ後は胃の調子が悪くなります。でも、コーヒーを点てているあの香りは非常に魅力的で誘惑されるのですが、その誘惑に負けて飲んでしまうと、昼食まで「気持ち悪ぅ」という結果になります。
 「珈琲」というものを来客時に差し出すと、なぜか「お茶」を差し出すより、その客人に対して歓迎しているというか丁重に扱っているという雰囲気を醸し出しますが、出していただく相手の体に合わない場合は、非常に苦しい時間を過ごす羽目になります。
しかし、「珈琲」を出していただく相手の方のご好意がすごく良く分かるため、残してはいけないとの思いから、私はすべて飲み干すことにしていますが、あまり早く飲み干すと「あ、もう一杯入れますね」と更に状況が悪くなることもありました。
これは、「お酒」についても同じことが言えると思います。特にお酒を振る舞う機会というのは、客人を歓迎している場合が多く、相手の方の好意がすごく伝わります。私自身はお酒を人並み程度に嗜むほうなので、勧められれば快くお受けしますが、珈琲と違い本当にお酒を受け付けない体質の方は、非常に嫌な経験を何度もされていることでしょう。
 一昔前と違い、最近はそういった体質の方も認知されるようになり、ある程度はお断りを入れらるようになってはきましたが、なにせ相手は酒を飲んで酔っているわけですから、そういった気遣いもどこかに飛んでいき「まあ、飲め飲め」となることも多いでしょう。
そんなゲストとオーナーの関係で、自分がゲストの時にその接待が「ちょっとしんどいな」と思っていても、オーナーになった途端、「まあ、どうぞ どうぞ」となってしまうのは、そのゲストに対する「好意」から来るものや「見栄」から来るものまで様々です。しかし、どちらにせよ相手の方の立場に立って物事を考えることは、非常に重要なことではないかと思います。
 私も一度、接待方法や振る舞いの仕方を見直してみようと思います・・・・。