ブランド品

 先日、馴染みのスナックに行ったときのことでした。偶然知人がいまして他愛もない話をはじめました。その時、携帯電話のストラップの事で少し話しが盛り上がりました。知人は、携帯電話にいわゆる「ブランド品」のコピー(贋物)のストラップをつけていましたが、周りの人も少し巻き込んで、そのストラップがもし正規の品ならいくらで購入するかということを話しました。ある人は「3千円」またある人は「5千円」とストラップ一つのことでああでもない、こうでもないと時間を潰しました。
 その時思ったのが、「ブランド品」というのは、皆が気軽に買えず、又、皆があまり持っていないから、自身が所有していることにステータスを感じるもので、「これなら買う」と皆が思う金額を設定したら、沢山の人が所有し、ステータスを感じないのではないか、ということでした。そうすると、「ブランド品」の価格は、皆が「これは高うてよう買わんわ」という価格に設定しないといけなくなりますが、でもメーカーサイドとしては、商品が沢山売れないことには利益は出ないし、その双方の分岐点が非常に難しいラインになってきます。ただ、「A」というブランドと「B」というブランドとでは、その「ブランド」によってラインがまちまちで「このブランドならこの価格まで」という分岐点もあるので価格設定というのは非常に難しい事だと思いました。
 そんな、私には何の関係もないことを延々考えていたら、ふとバブルの頃に思ったことを思い出しました。周りは、やれ ヴィ**だ、やれ **ネルだと、男性、女性、老若男女を問わず買い漁っていました。私も周りがそういう風潮になっていくと影響されやすく「ブランド品」が欲しくなりました。しかしまだ二〇歳そこそこの安月給で持てる筈なく、いつしか偽者を持っていました。そんなある時、ふと考えました。なぜ自分は偽者を持っているんだと。持っていることにステータスを感じるのは宝石や貴金属でよく、鞄や、財布、靴など本来使ってナンボの品物は、自分の懐や、感性・使用目的に合った商品やサービスの提供をしている「ブランド」を探して身に付けることのほうが、よっぽど「かっこいい」ことではないのかと。
 そして、その決意を胸に探し出しましたが、未だに見つけることが出来ず、そして諦めからか、あまり考えもせず、最近はデザインと価格だけで選んでいる自分がいます・・・。