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日本でいちばん大切にしたい会社

 最近少し時間的に余裕ができてきたこともあり、本を漁るように読んでいます。学生の頃に勉強を全くと言っていいほどしなかったので、本を読んで知識や思想を得ることがこんなに楽しくて、こんなに自分の為になるものだということを今頃になってようやく実感しています。そんな本の中で、特に私的にヒットした本が坂本光司教授執筆の「日本でいちばん大切にしたい会社」という本です。これには、企業において金銭や利益以外の価値は何であり、またそれがいかに重要であるかということを実例を挙げて説明していました。
 私はこの会社で独立する際、世間で言われていた名ばかりの「顧客第一主義」というフレーズには嫌気がさしていました。私としては、これは今も変わらず思っていることですが、社員の満足感や仕事が楽しくできる会社でないと、お客様に満足を与えられる仕事ができないと思っています。また、会社のためにとか、会社のことを考えて、と口先だけ言って自分が犠牲者のように言う人がいますが、「会社の評判が悪い=社員の仕事の仕方が悪い」、「会社の業績が悪い=社員の将来が不安定」など、「会社の評価=社員の評価」だと間違いなく思いますので、いい意味で「自分の為に」仕事をするようにすれば、結果としてお客様に満足していただける仕事ができるであろうと、私の姿勢は勿論のこと、全社員にもそう指導してきました。そんな気持ちで仕事に取り組んでいますので、この本に書かれていることを読んで、今までの自分の考えもあながち間違ってなく思えました。
 企業というものは、株主や代表者のものという考えでなく、いかに地域や社会、社員やお客様に対して仕事を通して貢献していくのか、また過大な拡大路線を求めずに、確実に継続させていくことの重要性などを改めて認識させられた本でした・・・。

欧米並み

 民主党政権が誕生する前は、個人的には大変失礼ながら、民主党に政権交代能力など期待していませんでした。しかし今あらゆるところで良くも悪くも既成事由を壊そうとしている姿勢は、個人的にはプラスに映っています。「増税よりも無駄を無くす」ことや「不要な公共工事を取りやめる」、「こどもを育てやすい環境を造る」など、こういうものの方向性は、個別の内容の如何はさておいて、大きな視点で捉えたその方向性は賛成です。
 そんな中で、たばこの増税がまた議論されています。「増税よりも無駄を無くす」ということからは反対の議論にはなりますが、どこかで増税しなければならないのなら、たばこや酒の増税は消費税や所得税の増税に比べれば私的にはまだ理解できます。例えば消費税が5%から15%になるのと、一箱320円のたばこが1,000円になる同じ3倍ですと、たばこ増税を反対するのはたばこ業界の方が大半で、殆どの国民やまた愛煙家も反対されないでしょう。現に私の周りの愛煙家も同様の意見です。
 しかし、ここまでの議論は納得できるのですが、その増税の基準がなぜ「欧米並み」なのでしょう。政治家や評論家の先生方がたばこ増税に限らず、何かというと比較基準に出すのが「欧米並み」です。確かに基準がないと話もできないでしょうから、ある指標にするのには有益なのかもしれませんが、ある特定の基準だけ欧米並みにしたところで、その他が全く違うためにどこかで無理が生じます。教育や社会保障制度など同じ欧米でも全く違います。また「欧米」と一口に言いますが、そんな広い定義で一括りにするものでもありません。何が問題なのかといいますと、日本人は「欧米並み」というフレーズに弱く、それを言うとそれがあたかも優れているかのように勝手に理解する事です。
 もっと大きな視野で物事を捉えられるようになりたいものですね・・・。

島田紳助さん

 最近本当に何年か振りにスーツを新調しました。新しいスーツを着ますと、本人が思うほど周りの人は別に何とも気にしていませんが、自分自身としては何と表現していいのかわかりませんが、背筋を伸ばして歩くような感じになります。私は以前から、人の印象というのは、身なりや姿形で判断されることが大半で、その印象を悪くするか良くするかは、心がけの問題だと思っていました。ですから、ちょっとコワモテの印象を与えようとすれば、それなりの格好をすれば迫力も出ますし、汚い格好をすれば幸薄そうな人にも見られますし、それなりにビシッとした格好をすれば、そこそこ社会的に地位のある人に見られるという感じです。 
 しかし、先日何気なく見ていたTVで、若いとても爽やかそうな男前の男性が、もの凄く頼りなさげで的を得ていない話をしている姿を見たときに、ふと気づいたことがありました。それは、「話し方」です。確かに先述のように、その人と話しをするまでの第一印象は、当たり前に姿形で人は判断します。しかし、一度その人と会話したり、会話を聞いた場合では、話し方によって全く違う印象を与えます。話し方というのは話す内容もそうですが、表情や語気、しぐさなど全ての表現力がその人の話し方を決めます。ですから第一印象を決める服装や身なりは変えられても、顔というのは変えることはできません。ですが、表情を豊かにしたり、話す内容や手法を変えるだけでその人の印象はガラッと変わります。その典型的な人として私がぴったりだと思ったのが、大変失礼ながら島田紳助さんです。彼は黙っていればお世辞にも人相の良い人には見えません。しかし、一度話を聞けば彼の魅力にグイグイ引き込まれていきます。そして彼はとても魅力のある男性という印象が出来上がります。
 そんな魅力ある人を目指しましょう・・・。

一旦停止取締

 先日、運転中に反対車線で一度に2か所で別々の交通違反の取り締まりを見かけました。それは、シートベルトの取り締まりと一旦停止の取り締まりでした。いつも思うのですが、シートベルトの取締りをしている交通課の方は、物陰に隠れて、目立たないように帽子まで取って対向車の違反者を探しています。また、一旦停止の取り締まりの場合は、大体が見晴らしの良い交差点で、それも一番違反をしそうな車線から見えない場所に隠れて違反者を取り締まっています。ここからは、国家権力に逆らうと恐ろしいので、慎重に言葉を選んで書かせていただきますが、この一旦停止違反というのは、以前から思っていたことですが、私にとってはどうも合点のいかない取締まり方をしている場合が多いです。というのも、確かに道交法で定められている一旦停止場所で、一旦停止しなければいけないのは百も承知のことですが、交通課の方が取締りをしている場所というのは先述のように、大体が見晴らしの良い交差点で、前後左右から人や車が来ているかどうかが、かなり手前から目視できる交差点で、且つ隠れる場所があるところで取締っています。その行為は本当に極端な言い方をしますと、「人があまり通らない道に現金を置いておき、そこを通った人が現金を拾った時点で捕まえる」というような、罠を仕掛けてわざわざ犯罪者を作り上げることと同じように思えます。仮に、その交差点が本当に非常に危険な交差点なのであれば、違反者を取り締まるのが目的でなく、事故を防ぐことを目的として危険にならない施策をするとか、その交差点に立って交通誘導するとか、何度も言いますが「本当にその交差点が危険」であるならば、いくらでも他の方法があるはずです。
 それなのに何故隠れてまで違反者を取り締まる必要があるのか、市民を守るはずの警察の考えが、私には到底理解できません・・・。

エコカー減税

 昨今、エコカー減税によってハイブリッド車や、低燃費車の売れ行きが好調です。また、エコポイントによって省エネ家電の売れ行きも好調です。国民が地球環境のことを考え、未来の地球の為に協力していることはとても素晴らしいことだと思います。
 以前に原子力の研究をしていた竹下貴之さんのコラムにも記しましたが、電力量が足りなくなるから発電所を建設する、といった方向にお金をつぎ込むよりも、消費を抑える製品の開発や補助金などにお金をつぎ込むという方向にもっていくべきだ、と当時旧科学技術省のキャリアとして在籍していた彼と話をしていた頃から20年が過ぎて、ようやく世の中がその方向に向かってきたなと思えます。(ただの偶然ですが)ただ、よく言われることですが、私みたいな貧乏性の人間にとっては、旧製品をスクラップにして省エネ製品に買い換えるのは、結果として省エネにつながることが明確でも、心情的にはまだまだ使える製品をスクラップにすることには抵抗があります。確かにこれには、省エネという目的のほかに、市場経済の活性化という目的もあるので仕方がないように思えますが、別の方法として例えば今家庭にある製品に何か特別なパーツを取り付ければ劇的に省エネが図れる、といった魔法のパーツを開発すれば省エネにも、無駄な廃棄にも対応できますし、またパーツの価格設定を買換える金額の半分程度に設定すれば、市場の活性化にも貢献できるように思えます。
 いずれにしても、原油などの天然資源は、どれだけ省エネをしても、エネルギーの供給源自体を変えない限り、当然にいつかは無くなってなってしまいます。要は枯渇するスピードが早いか遅いかだけの事です。早期に代替エネルギーを確立させないといけないことを誰もが分かっていても、なかなか進まないものですよね・・・。

外食

 よく昔から「外食ばかりしていたら、栄養のバランスが取れないし、体に悪いからちゃん家で食べなさい」的な発言をよく聞きます。確かに外食をしていますと、どうしても自分の好みのものだけをついつい注文してしまいますし、添加物や油分、塩分、糖分などが多く入った料理も多いと思いますので、その意見は一理あると思います。そういう私も妻が亡くなってからはほぼ外食のみですので、(同居の母親の名誉のために申し上げますが、決して作ってくれないのではなく、私が頑なに食事を作られるのを断っているためですので。)夕食にファーストフードなどで済ませていたりする場合も結構多いですが、日々の行動範囲は限られていますので、それが長く続きますと飽きてくるのと少しはバランスを考えて??野菜や普段の外食では決して食べることのなかった品目を注文したりしてくるようになりました。
 そう考えますと、子どもがこれしか食べないからとか、これが嫌いだからと、子どもや自分の好みだけで食事を作っている家庭の食事より、ちょっと自分でバランスを考えた外食のほうが、結果的にバランスが取れていたりするかもしれません。もっと極端に言いますと、外食や弁当などには添加物が多く含まれていて健康に悪いという事実はあるかもしれません。しかし、以前中国産で話題になったような残留農薬いっぱいの野菜や食材や、養殖で抗生剤をいっぱい含んだ魚や現段階では治療方法のない細菌が入った食肉などの食材に、化学合成された調味料や料理の腕を隠すための塩、砂糖、油などをふんだんに使って作った家庭の食事と、どちらが健康に良いのかは、誰にもわからないのではないでしょうか?とか言いながら、まあまあいつもながらこんな屁理屈を書いている私は、今の自分の行動を正当化しようとしているとしか思えませんよね・・・。

過当競争

 先日携帯電話を新しく購入しようと思い、比較検討するためいろんな会社のショップへ行き説明を聞きました。どこの会社も以前に比べれば、かなり機種本体の価格が高くなりましたが、毎月の支払額がかなり低くなりましたので、結局のところ得なのか損なのか、全く分かりませんでした。また、各社の機種自体の価格は同じようでしたが、料金プランについては一社だけでも沢山設定されているので、それを比較するだけでも大変な作業ですが、幅を広げて各社で比較するなんて芸当は、それを専門に研究している人でない限り無理そうです。
  同じように先日、クレジットカードを作ろうと思い、ネットでいろいろと調べてみました。すると、年会費無料のものから数万円のもの、また会員カードを兼ねた比較的簡単に手に入りそうなものから、審査が厳しそうでステータス性を感じるものまで色々な種類のカードがあり、正直言ってどれにしたらいいか迷うというのを通り越して、選ぶ気が失せてしまうほどでした。
 多分昔は何のことにせよ、これほどまで複雑な選択肢がなかったので、簡単に損得や個人の嗜好で決めればそんなに迷うこともなく決められたのでしょうが、今の時代はとても選択肢が広がりました。それは企業が今まで以上にコスト削減や売上増加のための企業努力を行い生き残りをかけた競争をしているからです。一見すると良い方向に向かっているだけに見えますが、最近の競争は適正な利益の確保が不可能な競争となってきている傾向があります。その結末がどうなるのかは明らかで、資本の潤沢な企業がその体力の続く限り生き残り、ライバルがなくなった時点で、自らの思い通りに操作していくでしょう。
 ですから消費者である我々は、結果的に自らを守るためにも、過度な低価格や過度なサービスを求めないよう自覚していかなければならないでしょう・・・。

キャンプ

 またまた恒例の甥っ子姪っ子を連れたキャンプに出かけました。今回は、彼らの友人や彼女などの参加があって、子供たちだけで18人、大人は2人という大人数でした。今回のキャンプで考えさせられたのが一番年上の2人が自家用車に乗って来た事でした。考えますと今回で何回目になるのかは忘れましたが、始めた頃は一番上の甥っ子が小学生でした。そんな時代から、大学生や社会人になった今まで、嫌がるどころか楽しみに参加してくれている事に私は喜びを感じます。そんな皆が大きくなってきていると感じさせられるもう一つの出来事としては、一番上の子は以前から彼女を連れて参加していたのですが、今年は何と上から三番目の子が、彼女を連れて参加していました。もうここまで来ますと、彼らの奥さんや旦那さんを連れて参加する日もそう遠くはないんだろうなと思わされたりしています。
 そんな今回のキャンプの子供たちへの指令は、一人当たりの参加費3,000円の内、1,500円はキャンプ場代に当て、残り1500円の使途として、1日目に買出し中の昼食代400円、1日目の夕食500円、2日目の朝食代250円、2日間の小遣い350円で収めるという指令でした。しかもその金額で夕食は3品以上、朝食は2品以上創り、それぞれの料理を大人が審査して、優勝チームには小遣いを追加するというようにしました。その結果、夕食は女子チーム、朝食は男子チームが勝ち、図らずもそれぞれのチームが小遣いの追加をゲットした形となりました。キャンプ場をチェックアウトした後は、川で飛込みなどをし、夕方には残った小遣いを持ってスーパーに行き、ゲームや軽食などを各々がとっていたのですが、あれだけ立派に創った食事にかかわらず、追加された小遣い300円を合わせて残金が何と男子チームで一人当り1200円、女子チームで900円でした。驚きです・・・。

夏の県予選大会

 少し前のことですが私がOBである、名張桔梗丘高校野球部の夏の県予選大会の応援に行ってきました。今年のチームは去年の新チーム発足時点に監督から、今年は期待ができる、ということを聞いておりましたが残念ながら今回は初戦敗退という結果でした。
 その試合を見ていた時に、ふと私が高校球児の頃に父親に言われたことを、思い出しました。これは余談ですが、私は今になって結構不思議に思うのですが、そんなに実力はなかったにも関わらずキャプテンでエースで5番打者というそのチームで本当の大黒柱になっていました。そんな息子が嬉しかったのでしょう、他の親御さんよりも試合を見に来ていた父はある時こう言いました。「チェンジ(守備と攻撃の交代時)の時にな、お前はボールをマウンドに投げるやろ、あれをな、相手のピッチャーに手渡すなり、それができないならマウンドの上に投げずにちゃんと置いとけよ。今は理由は解らんかったとしても、まあ俺が言うてるようにしといて間違いないから。」ということでした。その後は理由は解らないながらも意識して言われたようにやりましたが、何せ、そのチェンジの時というのは、審判も急かしますし、何よりテキパキと動かないといけない雰囲気なので、結局はあまりできずに過ごしたというのが本音でした。
 しかし、今こうしておやじの年代になり、球児を応援するようになって初めてつい先日、父の言いたかったことがわかりました。試合自体は敵対して戦うことは当然ですが、それ以外の部分で変に敵対したり、決まった所だけ変に礼儀がよかったりするのは、若さから来る思考の浅いところで、それが年を重ねて物事が少し見えるようになってくれば、全体的な視野で物事を捉えることができるようになってきます。そこで先述のように「今になって初めて」解ってくることになるのでしょうね・・・。

りんごが教えてくれたこと 木村秋則さん

 先日電車で大阪に向う途中に読んでいた日経新聞の記事で、ものすごく興味を引かれたものがありました。
 それは「りんごが教えてくれたこと」の著者、木村秋則さんの記事でした。私は農業のことは無知ですので、当然ながら詳しくはわからないのですが、りんごという果実は他の果実を比べても非常に栽培が難しく、無農薬無肥料栽培は常識的に不可能とされていた果実らしいのですが、それを試行錯誤の末に可能にしたということでした。私は、早速携帯電話を使い、ネット通販で注文しました。届いてすぐに読んだのですが、木村さんの成功までの苦労話は想像の域を超えませんでしたが、果実や作物の話は私の想像を超えるものでした。
 例えば、私の知識では、農薬を減らしたり無くしたりした作物は虫が食って見栄えが悪い、という認識でしたが、無農薬無肥料を徹底して行い、自然環境や生態系を再現した農地で栽培する農作物は、そんなに害虫に食われるどころか、その害虫を食べる益虫も繁殖する為、逆に被害が少なくなったり、また有機栽培は体に良い、という認識でしたが、これもしっかりと熟成させた堆肥を使用しないと、幼児などには致死量をはるかに超える程の窒素含有量の多い作物ができたりするらしいのです。
 考えてみれば当然のことで、もともと果実や作物は、人間が食する為に成っていたわけでもなく、生態系が成り立っていた自然環境の中で、自らの子孫繁栄?のために果実などを成らせていたものを、勝手に人間が自分達が食べる為に都合のいいように育てていたという事を考えますと、本当は自然に成らすのが正当といえます。
 それは人間の都合によって果実や作物から害虫を避けようとし、収穫量を増やそうと品種改良を重ねた結果として、現在のような栽培方法でしか収穫できないように仕向けてしまったのでしょう・・・。