作成者別アーカイブ: kinki

慣れ

 少し考えてみますと、普段何も感じないことでも、結構すごいことをやっていたり、やってもらっていたりすることが多いことに気付きます。例えば新聞ですが、朝起きれば休刊日でない限り、毎日ポストに配達されています。この新聞というものは優れもので、その日のテレビの番組表から昨日あった事件、政治や経済の記事に家庭向けの記事、住んでいる地域の情報に企業やお店のチラシなど、月刊誌や週刊誌とは違ったタイムリーな情報の宝庫であるにもかかわらず、毎月3,000円程度で自宅まで毎日届けてもらえるという媒体です。この新聞の製作に一体何人の人がかかわっているのはわかりませんが、これだけの情報を毎日更新するわけですから、相当の数であることは確かです。更には折込まれるチラシにも、その数だけかかわっている方がいまして、例えば今皆さんが読んでいただいているこのチラシを作成するのにも、何人もの方の手がかかっています。
 また逆に何気なくやっているすごいこととして車の運転なんかも挙げられます。これもよく考えてみれば、今でこそ少なくなってきましたが、ほんの15年前くらいまではミッション車が必須の教習であったように、世界一速く走る人の数倍ものスピードで走る鉄の塊を、右足でアクセルを踏みながら両手でハンドルを握り、あるスピードに達したら左足でクラッチを踏み、同時に素早く左手でギヤチェンジし、右のウィンカーを出してハンドルを切るという、文章にするととても複雑な作業をほとんどの方が難なくこなしていたりします。
 そんなことでも不思議なもので、人は「慣れ」てしまうと何とも思わなくなります。しかしその「慣れ」はともすれば、本来感じなくなってはいけない感謝の気持ちや罪悪感、驚きや悲しみなども「慣れ」ることによって感じなくなってしまいますね・・・。

クレーマー

 私ごとですが若い頃の自分と最近の自分が変ってきたなと思うことが、「怒りっぽくなった」事です。恐らく若い頃であれば何とも思っていなかったことが、最近ではどうも納得がいかず許せなくなってきています。例えば役所や会社、お店などと交渉しなければいけない場面になった時に、自分の希望する結論があっても、相手方がこれしか駄目ですとか、こうしかできませんなどと返答されてしまうと、以前ならば「そう決まっているなら仕方が無い。納得いかないけど諦めるしかないか。」となっていましたが、最近ではその理由が相手方の都合のみである場合や極端に対応が悪い場合には、何故相手の都合でそこまで我慢させられるのかとか、何故そのような対応をするのか、といったような人の気持ちを全く無視した対応をするところに私は「怒りっぽく」なってきました。それは恐らくこんな私でも会社組織で長年勤め、また会社経営をするようになって、結局は殆どの事柄を組織側の都合ですすめることが分かってそう思うようになったのだと思います。
 しかし、それは常識的に考えておかしいと思うことを少しでも正す方向に持っていく程度で、「文句の言った者勝ち」のような相手方が自らの過失以上に一方的に損害が発生するような要求をする「クレーマー」とは当然一線を画しているつもりですが、自分ではそう思っていても、相手方の常識とこちらの常識の範囲が違えば同じ「クレーマー」となってしまいますので、その点は誤解されないように十分に気をつけているつもりです。
 ですから、前回はネット環境がどうだなどと書かせていただきましたが、それだけに今以上に科学が進歩すればするほど、結局最終的には何の基準も無い「常識」や「コミュニケーション」などという事が更に重要になってくるのでしょうね・・・。

ネットショッピング

 最近何かにつけて思うことが、インターネットの普及によって生活の仕方が変わってきたのが実感できます。その一つとして例えば買い物ですが、大量の買い物や高額の買い物をより安く購入する為には、今までは大型の量販店や専門店などに出向き、何件か回った後で最終的に一番条件の良い店舗で購入するといった手間が必ず必要でした。しかし、今ではインターネットの普及によって自宅で簡単に、しかも全国レベルで価格の比較ができるという数年前までは考えもつかなかったことが実現しています。ですから最近では、電化製品などを賢く購入するには、まず大型の量販店で現物を確認してお気に入りを特定し、その後自宅に帰りネットで価格調査して一番条件の良いネットショップで購入したり、ネットショップで購入しないまでも、ネットで最安値の価格を量販店に提示してそこまで値引いてもらうなどという、量販店にはとんでもなく迷惑な買い方ができたりします。
 こうなりますと、経費が最小限しかかからないネットショップの価格と、大きな敷地を確保して人件費を支払い、光熱費や本部経費などを支払っている量販店の価格が到底同じであるわけがなく、量販店は顧客に最低価格を提示されてもそこまで下げるわけにはいかないでしょうから、極端なことを考えますと、もっと今よりインターネットが普及してくれば、量販店は電化製品のショールームとして利用されるだけで、売上が全く伸びないといった問題が発生するかもしれません。
 そんな事を考えますと、これからの量販店の在り方は、量販「店」としての機能はあまり利用されないと割り切れば、メーカー各社が合同でショールームを展開し、販売はその店に設置したパソコンからネットで購入するといったことになってくるかも知れません・・・。

エコロジー

 今世間では「環境に優しい商品」や「エコロジー」など環境問題に関することに関心が寄せられています。その一環として「クールビズ」も政府の推奨のもと、企業や商業施設などでもだんだんと定着してきた感があり、ネクタイを外したり軽装になったりとクールビズ対応をしているところが多くなってきました。
 各企業などがエコロジーを行ってきている現在、無駄を省いた生産や活動を行い、その宣言として紙媒体や電波などを通して消費者へ伝え、消費者も各企業が行うことによってその意識を植え付けられ、その対策を行っていない企業は敬遠されるという、良い方向のスパイラル現象が起きてきています。そのため企業や商業施設などの入口には「マイナス●●運動実施中により、空調を約●℃上げております。その為社員は軽装で対応させて頂きます。」などと掲げているところが増えてきました。
 そういう時代に入ったなと思っていましたが、例えば昔は夏の暑い日にスーパーなどに入った瞬間に毛穴という毛穴がすべて収縮するくらいヒンヤリとしていました。しかし今はそんなにヒンヤリしていないんだろうと思って店内に入ると、表の案内とは裏腹に、昔と変わらないくらいのヒンヤリさが伝わってきます。また、企業などへ訪問した際も同様のご案内が掲げられていますが、女性でない私でも上着を着てても寒いくらいに空調を効かせているところも多くあります。
 企業イメージを良くするためだけのリップサービスやパフォーマンスを消費者はもう見抜いています。しかし消費者の本心は逆に快適性を求めているので、表面上だけ取り組んでいるように見せかけた企業が後を絶ちません。消費者は、エコロジーとはもっと個人レベルで意識改善すべきだということを自覚しなければ、この活動は全く無意味になってしまうでことでしょう・・・。

食の安全

 最近になってようやく世間では「食の安全」が声高に叫ばれるようになってきました。私はたまたま20年程前に食の安全に関する本を読んだ時に、養殖魚の奇形の多さや、輸入食材の農薬の危険性、加工食品の合成保存料の危険性などを知ってはいたのですが、現実問題としてそれらの食材を避けて購入したり、安全と思える食材を常に購入することはとてもコストがかかったりと、危険性は避けられない問題であると思っていました。また仮にそのような食材を手に入れても、食材の明記していない場所で外食したり、加工食品を合わせて摂ったりすれば元も子もなくなります。現実的に考えて今の社会で全ての食材を自給する事は困難であるといえますのである意味仕方がないと諦めるしかないのでしょう。
 一昔前までは皆が食べることに必死であった為、安全や信用というものは二の次で、「より安く」手軽に入手できる食材が優先されてきました。それが現在では、「より良い物をより安く」という供給側としては非常に難しいテーマが突きつけられるようになってきました。これが、正常な範囲での競争であれば良いことなのですが、競争が徐々にエスカレートしていき、終にはコストを下げ大量生産するための過剰な農薬散布、また生産地や原材料の偽装などの不正を行わなければ成り立たない程の異常な領域まで入ってきてしまいました。
 確かに生産者が危険性を知りながら自らは食さない農作物を出荷することや、製造業者が原材料を偽装して生産するなど許されるものではありません。しかし、そうせざるを得ない状況に追いやっている責任は、消費者の過剰な要求にも責任があると言えるでしょう。ですから常識的に考えてこの金額で購入できるわけがないと思えるものや、便利すぎるものをもっと疑問に思えば状況が良くなっていくのではないでしょうか・・・。

参議院議員選挙

 最近私も歳を取ってきたせいかどうかわかりませんが、今まで一向に腹が立たなかったことが、無性に立つようになってきました。逆に今まで腹が立っていたことが立たなくなってきたりしています。そんな腹の立つことの一つに政治に関することがあります。
 それは普段であれば「またやってるよ」とか「そんな無責任な」などと思っても何もなく過ごしてしまうことが政治の世界ではたくさんあって、何かしら半ば諦めのような気持で見ていますが、選挙が近づいてきた途端に与党は、選挙対策のみとしか思えないような子供だましのリップサービスで国民を愚弄しています。それが年金問題にしても政治資金問題にしても問題発言にしても税金にしても全てそうです。
 今までの政治的な問題は私たち国民に関係はあるとはいえども、直接的に関係がないことが多かったのですが、今回は年金問題や消費税率引き上げや所得、住民税など生活に密接にかかわる問題がたくさん出てきましたので、国民の関心度は日増しに高くなってきているように思えます。そんな中で先述しましたように与党は、本当に全国民を幼児程度にしか思っていないのでしょう、子供だましの発言と場当たり的な対策を繰り返し、何とか選挙を乗り越えようとしているのでしょうが、その対応や発言に無性に腹が立ってきます。今まで選挙が近くない時期には放っておいた事柄や問題を、さも大切な事のように対応している態度が、更に国民を馬鹿にしているように見えます。また野党にしても、これだけ国民の信頼をなくしている与党に対し、決定的な対策や発言ができず、重箱の隅をつつくような事柄で攻撃している姿にも心底呆れます。
 そんなこと言うならお前がやってみろ、と言われそうですが、ひとごとですから偉そうに言えるんです・・・。

パイレーツ桑田真澄投手

 最近の日本のプロフェッショナルと呼ばれる方々の中には、それぞれの分野で世界レベルでの活躍が目立ってきています。そんな中の一人に、39歳でメジャーデビューを果たしたパイレーツの桑田真澄投手もいます。
 桑田投手といえば私は個人的に非常に思い出のある方で、とはいっても知人であるとか、親戚であるとかではないのですが、何故私の思い出が深いかと言いますと、実は同じ年齢で学生時代に同じ野球をやっていたことに関係します。
 私は名張桔梗丘高校で一応野球部に所属し、一応キャプテンなどをやってはいましたが、もうかなり過去のことですから申し上げますが、「甲子園」などは夢のまた夢で行けるなどと鼻くそほども思ってはいませんでしたし、そこまで努力もしていなかったと思います。そうは言いましても当時から夏の甲子園を見るのが非常につらく基本的には今でも見ないようにしているのですが(球児の涙を見たくないので)、最後の夏の大会で敗退した私は、やることがなく何気なくつけたTVで桑田投手が投げている試合を1試合だけ見てしまいました。その試合の中での一場面しか覚えていませんが、その一場面が今でも私の心の中に残っています。
 それは、PL学園の守備でピッチャーは桑田投手、ノーアウト、一,二塁で点差はほとんどない状態で、当然相手は走者をすすめるために送りバントをしてきました。そこでバントした打球がピッチャー前にフライとなったので桑田投手はすかさずダイビングキャッチしながら向きを替え二塁へ送球、一塁へも送球し、トリプルプレーとなりました。その時高校生ながらに本当に心から感じたことが、「ほんまに運って実力のある人につくもんなんや」ということでした。それから20年経った今、私にはどれだけの実力がつけられたのでしょうか・・・。

デスノート

 以前のコラムで「ブラジルの殺人請負会社」について書かせていただきましたが、それを考えていて思い出したのが、内容は違いますが日本映画の「デスノート」でした。最初私はこの映画のタイトルからホラー映画だと想像していたのですが全く違いました。この映画は主人公である刑事局長の有能な息子が、この世から犯罪をなくし、より良い社会をつくることを理想としてデスノートを使い犯罪者を次々と殺していく中で、それを阻止しようとする刑事局長の父や天才的な少年との戦いを描いたものでした。
 この映画の内容は、前述の殺人請負会社のように簡単に人を殺すということでは一致していますが、その対象者が「犯罪者」に限定し、目的が「よりよい社会を創るため」といった大義名分があります。(本当は映画と現実といった違いは当然にありますが)このことを無責任にあまり深く考えなければ、「いいことではないのか?」と私は思ってしまいますが、よく考えますといろいろと問題点が出てきます。確かに犯罪者に対し極刑を下すということは、犯罪発生率自体を低下させる要因になり、より住み良い社会になる可能性があります。しかし、どこまでの犯罪に対し極刑を下すのか、それを誰がどういう基準で何の権利で下すのか、また本当にその人が犯罪者であるのかどうかを誰が検証、判断するのかなど問題点はたくさん出てきます。
 こう考えますと、前述のデスノートの問題点はさておいていても、現在の裁判制度や刑法の内容などは仕方がないと言えばそうでしょうが、人が人を裁くという前提自体がいろいろな問題を発生させている要因になっているように思えます。もしこの世に神が存在するなら、もしこれが神が裁く前提であれば、もっと問題のない違った裁き方が存在するのでしょうか・・・。

 ある日の朝、いつものように勤務先まで車を走らせていますと、いつもよりも澄んだ空が広がっていることに気付きました。その空を眺めていてふと思ったのが、「空はなんでこんなに青いのだろうか?」というものすごくクサーイ疑問でした。それをネットで調べてみましたら科学的に説明されていまして、青色は色の中でも波長が短く、その波長が短いほど空気中で散乱するので日中は空が青く見え、夕方になると波長の長い赤い色が・・・となんとも味気のない説明でした。説明としては科学的に説明されているので正しいのでしょうが、何か実感がわかないというか、よくわからない感じがします。というのも空の上(表現が正しくありませんが)には宇宙が存在し、その宇宙は基本的に「黒」色の世界です。その黒の世界の下にあんな鮮やかな青色の空がどうやって存在するのか、また夜は黒いのに昼には青になって朝夕は赤になるということは、一般人の私は科学的に証明されているのでそれを信用しても、理解するということとは中々一致しないなと感じました。
 同じようなことに夜の星の煌きもあります。地球から一番近い星でも4~5光年あるとされています。ということは今見ている星の光は最低でも4年から5年前の光であることは誰もが知っています。更に一番遠い星ですと何と約130億光年と言いますから、地球の誕生の約45億年前のまだ85億年前の光が今届いているんですから、科学的にそのことがわかっても、心情的に理解することや実感がわいてきません。
 そんなことを考えていますと前にもコラムで書きましたが、人間は科学的に証明されていることを信用する傾向がありますが、よくよく考えてみますと本当は証明されていない事柄のほうが多いことに気付きますし、証明されていても実感がわかないことが多いのにも気付きます・・・。

毛虫やカエル★なるほど!の1話

 朝夕が肌寒く昼にはぽかぽか陽気のこの季節に車を走らせていますと、冷房と暖房の切り替えを頻繁に行うようになり、今の季節は一体どっちにせなあかんねんや?毎年どっちにしてたんやろか?とよく考えます。そんな季節にほかに感じることは、よく毛虫を曳きそうになることです。特に山中の道路では「毛虫」がたくさん這っている姿を見かけます。道路の右側から左側に這っているものや、反対に左側から右側に這っているものまで様々ですが、こんなに危険な挑戦(彼らはそうは思ってはいないでしょうが)をしてまで、この毛虫たちはその道路の向こう側に、いったい何を求めているのでしょうか?例えば、道路の左側で生まれた毛虫は右側に行かなければ成虫になれないとか、道路が暖かいのでただ単に道路に出たいだけなのかよくわかりませんが、不思議に大量に道路上で這っています。
 そんな毛虫をよけながら運転していて「あれ?ちょっと待てよ」と思ったことが、この毛虫たちは道路の右側から左側へ行くか、左側から右側へ行くしか見たことがなく、道路を進行方向に進んでいる姿や、逆に向かってきている姿を見たことがなかったのです。しかしその時は、恐らくそんなに注意深く見ていないからだろうなと思ったんですが、それから毎日注意深く毛虫の動きや向きを観察していましたら、百歩譲って若干斜めに動いていそうな毛虫はいましたが、真っ向から向かってくる毛虫や、私の進行方向に向かって進む毛虫は一切いませんでした。それがわかってネットでその理由を調べてみましたが、どこにも掲載されておらず、非常にモヤモヤとした気持ちになりました。その他にも道路を横断する生き物には雨の日のカエルもいます。そういえばカエルも道路を左右に横断するイメージがありますが、カエルも毛虫と同じで縦には進まないのでしょうか・・・。