カテゴリー別アーカイブ: 2008

高校野球

 先日、恥ずかしながら卒業してから始めて桔梗が丘高校の野球部OB会に参加させて頂きました。第1期のOBから、第33期のOBまでが対象の会合でしたが、総勢で30名弱の参加しかなく、少し寂しい気がしました。その総会が終わってからおよそ20年ぶりにグラウンドへ出向き、後輩達の練習を見学しました。その時にまず感じたのはグラウンドに入っていった時に、私たちに向けられるその挨拶の気持ちよさ(正直言いまして少し恥ずかしいくらいですが)は、なかなか一般社会生活の中では味わえないものです。それに加え、これは紛れもなく年を取ったせいでしょう、ただただ一生懸命に練習をしている後輩達のその姿を見ているだけで、何故か胸に熱いものが込み上げる自分がいるのでした。
 その後輩達を指導してるのは、顧問の先生と、あるOBでした。私も風の噂ではOBが監督をしておられるということくらいは、聞いておりましたが、大変申し訳ないのですがこんなに真剣に指導されておられるとは思ってもいませんでした。監督などは、毎日仕事を途中で切り上げて放課後の練習に参加し、それが終わってからまた仕事に戻るという毎日を繰り返しておられるようで、それがもう15年も続いているとの事。コーチも土日の休みには必ず参加し後輩の指導にあたっているという、私には到底できない活動をされておられます。
 よく考えればそんな活動をするためには、監督やコーチ自身のやる気や意思以上に、勤務先の理解や家族の理解など、自分自身だけでは絶対に解決できない事柄が沢山あるにもかかわらず、それをやってのけるバイタリティーにはただただ感服でした。
 今年も夏の大会の予選が始まりました。今まで見て見ぬ振りしていた私も、やれることはできるだけの協力をしていきたい、そんな思いが込み上げたOB会でした・・・。

レーシック視力矯正手術

 かなり私事ですが、2ヶ月ほど前にレーシックという視力矯正手術を行いました。きっかけは、九州に住んでいる弟がこちらへ来た際に、大阪でその手術を受ける段取りを組んでいて、当初は「おいおい、大丈夫かよ」と思っていたのでしたが、弟の術後の経過を聞いてやってみることにしました。私は、高校を卒業するまでは、全く勉強をしていなかったおかげで、両目とも2.0ありました。それが、会社に入り、必要に迫られて宅建の勉強をしてから段々と視力が落ちてきて、手術を受ける直前には左0.03、右0.07になっていました。それが手術後には驚きの、両目とも2.0に回復しました。
 私が受けたクリニックでは、手術費用が約18万円程度だったと思うのですが、手術を受けた人からの紹介状があれば、手術代が1万5千円割引になり、更に紹介者には3万円(期間限定で4万円もあります)の紹介料が支払われますので、その紹介料を手術を受けた人に渡してあげれば、手術代が計4万5千円安くなります。また、生命保険などに加入していれば、殆どの保険会社の商品は入院日額の10倍が給付されますので、私などは日額1万円の保険を2口入っていましたので、計20万円給付され、実際に支払った手術費用や診断書代を差引いても、5万円程度余剰が出来ました。そうして私の周りには、殆ど自己負担なしで沢山の視力矯正者ができました。手術も数時間クリニックにはいますが、実際には数十秒の手術で、手術当日の何とも言えない目の痛み以外は、次の日から全く何も変わりません。
 そんな得をして、簡単で、目も良くなって、コンタクトからも開放されてと、良い事づくめのようですが、一つだけ難を言えば、老眼がよりきつくなることです。近視や乱視しか矯正できないのです。まあ、いずれは老眼になるでしょうから、問題ないといえばそうですが・・・。

ガソリンの高騰

 私がこのコラムを書かせていただいている時点では、ガソリン価格がレギュラーで160円台ですが、この広告が出る頃には170円台になっていることでしょう。10年程前には1ℓ100円を切っていたものが、こんな価格になってしまいますと、大の車好きの私でさえも、ものすごく勿体ない気がして車に乗るのを控えてしまいます。そしてその次には、一般市民としては「税金取りすぎとちゃうんか!」という怒りの気持ちがフツフツと沸いてきて、政府に対し一人怒ってしまいます。
 何せ私の浅い知識の中では、ガソリンというものは大部分が税金で、その税金を含めたガソリン価格に消費税が課税されるという二重課税の商品のなので、原油価格がガソリン価格の高騰にあまり関係なく、税金がガソリンの価格を左右している、という認識でした。そこで、前述のように今まではある程度知っていてもあまり関心のなかった「ガソリン価格の内訳」を具体的に調べてみました。すると、ガソリン税を含む税金は全体の約45%を占めていて、価格に占める割合がやはり非常に大きなことが具体的に分かってきました。では、他の先進国の税金はどのくらいなのかと調べてみますと、税金の安いメキシコ・アメリカ・ニュージーランド等は全体の約15%までで、やはりかなり安い価格を維持しています。しかし、その次のカナダは約30%、次のオーストラリアになりますと急に上がり約41%、そして何と日本はその次の約45%で第6位という水準の低さで、日本のガソリン価格が150円前後であった時期にEU諸国では、既に200円もしていたのです。そう考えますと世界的には日本はまだ恵まれているということです。
 ただ、日本は恵まれているからと言って、その税金を無駄に使ってもいいということにはなりませんよね、お偉いさん・・・。

バチもん

 今中国では、ブランド物やキャラクターなどの偽物が当然のように氾濫しているようで、TVなどでもよく特集などが行われています。全ての人がそうとは思いませんが、それを見る限りでは、中国の人たちの考え方としては、良い物、売れる物は真似して何が悪い、というような感じに受取れますが、直接その人たちと話したことが無いので私には何ともいえません。
 しかし、何をするにしても、例えばスポーツなどでも、基本さえおさえておけば、あとは自分より優れた選手の真似や模倣することによって、自分のできる事やできない事が明確になってより成長できたり、また、仕事の上でも先輩の営業手法を真似てみて成長していくということがあるので、真似や模倣はすべてやってはいけないという事では決してなく、逆にやってみるべきこともあるということも忘れてはいけません。現に、例えば日本の自動車のデザインやファッションデザインなどは、明らかにヨーロッパの流れにあります。それらと中国の方々が行っているコピーと何が違うのでしょうか。それはデザインの流れや技術の方向性を真似しているのではなく、商品やキャラクターそのものを真似していることです。またそれには著作権や商標権、特許権の侵害などの問題がある場合が多く、それにも増して品質がオリジナルよりも劣っている場合が多いので、技術向上やノウハウの蓄積というような前向きや上向きな動きではなく、売れているものや人気者に乗っかっているだけ、となっていることが非難される事になるのでしょう。
 ドラエもんやディズニーのモノ真似をして商売している中国の人たちのTVを見て、我々日本人は失笑しています。しかし、その中国や韓国の人たちが作ったコピー商品を安いからといって一番喜んで買い漁っているのは他の誰でもない、日本人です・・・。

まつ吉

 以前このコラムで書かせて頂いたうちの息子2人の内、弟であるマルチーズの「まつ吉」が4月26日、突然に永遠の眠りにつきました。犬と一緒に暮らした事の無い人から見ますと、犬一匹死んだことくらいどれだけのことなのか、と思われると思いますが、子供のいないものにとっては、その子を亡くす悲しみは深く、当分この気持ちは癒されそうにありません。
 そのまつ吉の最後のお別れは「名張動物霊園」でお世話になったのですが、悲しみにくれる私たちと一緒に涙して頂いた女性園長の森さんから、ある詩を紹介して頂きました。それは「虹の橋」という動物とその家族の死後のことを描いた詩でした。その詩は私と同じような境遇の方には是非お読みいただきたい詩です。それを少しだけご紹介しますと、
 「天国の、ほんの少し手前に「虹の橋」と呼ばれるところがあります。-中略-
 そこには草地や丘があり、彼らはみんなで走り回って遊ぶのです。たっぷりの食べ物と水、そして日の光に恵まれ彼らは暖かく快適に過ごしているのです。-中略-
 でも、ある日その中の1匹が突然立ち止まり、遠くを見つめます。-中略- 
 あなたを見つけたのです。あなたとあなたの友は、再会の喜びに固く抱きあいます。そしてもう二度と離れたりはしないのです。幸福のキスがあなたの顔に降りそそぎ、あなたの両手は愛する動物を優しく愛撫します。そしてあなたは、信頼にあふれる友の瞳をもう一度、のぞき込むのです。あなたの人生から長い間失われていたけれど、その心からは一日たりとも消えたことのなかったその瞳を。それからあなたたちは、一緒に「虹の橋」を渡っていくのです。」
 先に行って待っててね。また必ず会えるから・・・。

税金の使い道・年金の使い道

 先日、会社で話していたとき、話題が税金や年金の話になった時に、「今TVとかで言われてるような年金の使い方や、税金の使い方を見てたら、ほんまに払いたくなくなるわ。」ということを全員総意で一致しました。確かに報道されているような使い方ばかりではないのは誰もが解っていますし、国民が助け合い、負担しあって国という大きな母体を運営していく為には、税金が必要不可欠な義務である事も誰しもが解っています。しかし、もともと、人間というものは自分勝手な生き物ですから、税金などを喜んで払おうというような人が少ない中で、血税などがあれ程までに無駄に使われている実態が明らかになってきたら余計に払いたくなくなってくるのは当然の事でしょう。
 そんな中、そんな事は今に始まった事ではなく、今までもあったことを殆どの国民は薄々知っていたとは思いますが、今ほどの怒りはなったように思えます。また、仮に怒り心頭になっていたとしても、自分ひとりが何を言っても何も変わらないといった気持ちで諦めていた人が大半だったと思います。そういう風に思えば今殆どの国民がそんな怒りを持ち、あの全く役に立たなかったワイドショーでさえもこの事態を取上げだしたので、ようやくお偉い議員さんや役人さんも「ちょっとまずい事になってきたな」と、付け焼刃的な対策を講じようとしてきていることは少しではありますが、前進であると言えるかもしれません。
 しかし、これだけ怒っていたとしても、その矛先をどこに向ければこの事態を効果的に変えられるのか、またどうすれば自分達の力で変えていくことが出来るのかをわかっている人がどれだけいるのでしょうか。もし解らない人が大半だとすればそれは、それは今まで国民が野放しにしてきた代償なのでしょう・・・。

めっせ一字 杉浦誠司さん

 先日このコラムで書かせて頂きました杉浦貴之さんのご紹介で、杉浦誠司さんという方とお会いさせて頂きました。お二人は親族などではないようですが、偶然にも同じ名字の為なのか兄弟のように呼び合っておられます。そのご紹介いただいた「誠司」さんも「貴之」さんに負けず劣らず全国的に講演や活動をされている方で、その活動の中の一つに私が非常に感動を覚えさせて頂いた「ある作品」を作っておられることがあります。その作品は今ここで文章によって説明することはできるのですが、それを頭の中で想像するには非常に困難を極めますので是非一度ご覧いただきたいのですが、一応説明させて頂きますと、 1.見た目は漢字で  2.その漢字を構成しているのはひらがなの言葉 という作品です。例えば、一見すると「夢」という漢字があるとします。しかしそれをよく見ると「ありがとう」というひらがなで構成されている、というものです。
 「誠司」さんがこの作品を思いつかれたのは、ある出来事がきっかけで頭に降りてきたということなのですが、単に「ひらがなを組み合わせて漢字にする」という作業が如何に大変か、ということだけでも容易に想像できるところが、この作品はその単純な組み合わせをしているだけでなく、その漢字が意味することをひらがなの言葉で表現しているという、とても崇高な作品になっていることに感動を隠しきれません。
 その作品を文字だけでご紹介させて頂くと、

「感謝」 すべての人々へこころをこめて 
「愛」  ありがとう 
「望」  あきらめない  など・・・。

めっせー字 ホームページ http://yume-arigatou.com/
 当社ホームページからもリンクしています。是非一度ご覧ください。

            

中国製品

 最近中国産の野菜や冷凍食品などについて毒性の強い農薬や物質が付着していたり、混入していたりと、何かと心配なニュースが連日報道されています。それに伴って決して全てではないと思いたいのですが、一部の報道では中国の農家の方の話として、「自分達が生産した野菜は日本に輸出するからどんな農薬を使っても関係ないが、決して自分達はその野菜を食べない」等と伝えられていますので、余計に中国産の野菜などの不買行動が目立ってきています。
 よく考えてみますといつの間にか今の日本では、どんなものを取っても「Made in China」の製品を抜きに生活ができなくなっています。バブル崩壊後の市場経済の混乱で企業収益が低迷し、それに伴い個人所得も落ち込んできた中で、何とか生活レベルをそんなに落とさずに生活ができたのは生活物価が下がってきたためで、それはそれこそ「Made in China」が日本人の生活に浸透してきたことが大きく関与しています。
 そんな中国で生産された野菜などは日本では勿論のこと中国でも使用が禁止された農薬が使われていると避難の的になっていますが、よく考えてみますと先進国の仲間入りした今の日本で人体に影響の大きい農薬が今では禁止されているというだけで、その昔は日本でもそれらの農薬が使用されていたということです。別に中国の肩を持つわけでは決してないですが、自分達が辿ってきた道を今他人が辿ってきているときに、自分達のやってきたことだけを棚に上げてそこまで非難できるものなのでしょうか。ここまで日本の生活に中国製品を浸透させたのは我々日本人です。我々の生活からもうすでに中国製品が無い生活がありえなくなってきている中で、どうして非難でなく何故改善に向けた指導や協力などをしていこうとしないのでしょうか・・・。

ブルーレイ VS HD-DVD

 その昔、SONYが陣頭を取っていたβ(ベータ)方式のビデオデッキの規格と、日本ビクターが陣頭を取ったVHS方式のビデオデッキの規格との戦いで俗に言う「ベータ・VHS戦争」というものがありました。個人的にはその戦争の頃は私は中学生でしたから、当時20万円以上もしたビデオデッキを自分で購入することは当然できず、別々の友人の家にある双方のビデオデッキを見比べて思ったのが、SONYが開発したβ方式のほうが画質も音質もよかったと思いますし、何よりビデオテープのサイズがVHSの3分の2くらいだったこともあって、収納や持ち運びの事を考えてもトータル的に条件が勝っているのはβだと思いました。しかし、結果としては皆さんもよくご存知ように、条件や性能的に優位だったβが市場から消え、VHSが勝利しました。
 これは単にビデオデッキ本体の価格がβのほうが高かったという単純な理由でなく、消費者としてはそれがよりよい商品とわかっていても、購入後のその商品の将来性や発展性、実用性などが見込みにくい商品よりも、それらが見込める商品を購入するという、市場戦略や顧客心理をうまく掴んだ販売戦略の勝利と言えます。
 そう考えますと我々消費者は極端な話、あるメーカーが凄く良い商品を作っていたとしても、世間に訴えられる販売戦略を持っていない限り、その商品より劣る商品のメーカーが、より良い販売戦略を展開することによって一つや二つ条件も性能が劣っている商品を買わされている可能性があるということに気付きます。       
 最近はそんなビデオデッキに代わりDVDやHDなどが主流になってきましたが、次世代DVDと言われるHD-DVDとBDの規格についてもまた2陣営の戦いが終止符を打とうとしています。一体いつまで消費者不在のメーカー戦争を繰り返していけば気が済むのでしょうか・・・。

夜のピクニック

 「昔はよかった」「昔はいい時代だったのに」年齢を重ねるほどに口にされる割合が上がっていくのではないでしょうか?一方こういう格言もあります。
 「古きよき時代―――すべての時代は古くなると良くなる。―――英国の詩人 ジョージ・ゴードン・バイロン(黄金時代)より」
 これらの言葉を信じるとすれば我々は最悪の時代を常に更新しながら生きている訳になります。これらの言葉は時代が悪くなっていっているのではなく、「昔は輝いていた自分」と「今は輝きを失ってしまった自分」との落差に内心気づきながらも、時代のせいにしているのかもしれません。だとしたらこの上なくネガティブな言葉です。
 私も年々こういった言葉を口にすることが増えてきました。と言いますのも、小説「夜のピクニック/恩田睦」を読んだからです。「夜を徹して八十キロを歩き通すという、高校生活最後の一大イベント「歩行祭」。生徒たちは、親しい友人とよもやま話をしたり、想い人への気持ちを打ち明け合ったりして一夜を過ごす。そんななか、貴子は一つの賭けを胸に秘めていた。」このあらすじにワクワクしながら2晩で読破しました。帯に「この本を読んでいる間はみんな18歳に戻れる」と書いてありましたが、見事に高校時代にタイムスリップして、感傷に浸ってる自分がいました。やはり私も高校時代は勉強は大変で、さらに将来何をしたいのか自分でも分からず進路にも頭を悩ませていましたが純粋に楽しい日々でした。また、未だ見ぬ未来に希望を持っていました。
 「古きよき時代」といった類の言葉はこういった見方もできると思います。もがき苦しんだり、苦労したりしながら、それを乗り越え、自分の血となり肉となった体験を自分のプラスになった「良かったもの」と過去を肯定する視点で認識できている証拠なのかもしれません。それはいい意味で「大人」の視点で物事を見ることができるようになった証(あかし)なのだと思います。
 現在色々大変であり、苦労も耐えない「最悪な」この時代でも将来、それを乗り越え、自分が少しでも成長できたとき、また「大人」になることができたとき、あの頃は良かったと言える時が来るのではないでしょうか。
 過去を懐かしむ時、未来においても懐かしむことができるような過去にするような生き方を今現在しなければいけないと思わせてくれた1冊でした。
 (筆)株式会社 近畿不動産販売  流通営業1課課長 平居 慎也