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特待生問題

 私たちが普段生活していている中で、何かおかしい、どうしてそうなるの?といったことはこの世の中に山ほどあります。先日報道された「野球部員特待生制度問題」もその一つです。日本学生野球憲章13条の規定によれば確かに違反していますが、そもそもなぜ野球の特待生制度が禁止されるのか全くもって疑問です。確かに最近の報道を見ていますと野球界のモラルの無さは度が過ぎている感もありますし、また決まりごとは当たり前に守られなければならないことは明白であるので異議を申し立てる余地はありません。しかし、学校側の都合で特待生制度があたかも何の問題もないと思わせるほどに世間一般に浸透するくらい堂々と行われていた事実や風潮がある中で、私などは「疑問です」だけで済みますが、それこそその制度があるから遊びたいのも我慢して一生懸命に野球一筋にきた子供や、本当に実力があるのに経済的な理由から援助がなければ野球ができない子供はこれからどうすればいいのでしょうか?それこそ野球で特待生になれる運動能力のある子供であれば、まだ方向転換が間に合う時期であれば、ほかの特待生度のあるスポーツに鞍替えすることもできるでしょうが、それでは野球界では問題はなくなりますが、スポーツ全般でみれば高野連が訴えている問題点の解決には全くなりません。そう考えますと、他の連盟も今この時期に一斉に特待生度の廃止を行うようにしていくべきと思いますが、横のつながりがあるのかないのかよくわかりませんので、ここは政治的にこの問題を解決させるしかなさそうです。
 ただ一つ疑問なのは、スポーツでの特待生制度を禁止するならば、勉強で特待生制度を取っている事と、スポーツで特待生制度を取っていることにどのような違いがあるのかを解りやすく説明してほしいものです・・・。

殺人請負会社

 先日、ヤフーのニュース欄を見ていますと、以下の記事に目が留まりました。
「ブラジルで殺人の請け負い会社が摘発され、殺し屋の「社員」、およそ20人が逮捕されました。ブラジルの警察当局によりますと、この会社はブラジル北東部に本社を置き、5年以上にわたって、週平均3、4人、年間およそ200人を殺害していました。殺人1件あたり日本円にして6万円から30万円で殺人を請け負っていたということです。逮捕された「社員」の中には現役の警察官7人も含まれていて、殺人の証拠隠滅まで行っていたとみられています。捜査当局は、ブラジル国内にこの会社の「支店」があるとみて捜査しています。」
 この記事の扱いは他の芸能ニュースなどよりも非常に小さく、また他のソースでも同じ情報しかなかったのですが、これってものすごいことだと思いませんか?例えば本当に極端にいえば、今まで普通にお付き合いしていたお隣の方とゴミの出し方で揉めてしまい、非常に感情的になったとします。そこで隣の方があまりにも腹の虫が収まらないので何とかすっきりしたいと考えているときにこの「会社」の事を思い出して、5万円でお隣さんを殺してくれるならと殺人の依頼してしまう、こんなことが簡単にできてしまうのです。ブラジルの法律でこれが罪なのかどうなるのかは知りませんが、日本では当然に罪になりますし、道徳的に簡単には依頼しないでしょうが、法律で裁かれるとは言っても、こんなことが頻繁に周りで起きていますと、少し揉めただけで「殺されるかも」と思えば、「じゃあ殺されるより先に殺してしまえ」となってもう収拾がつかない状態になってしまいます。
 しかしブラジルではもうこれが当たり前なのかして、何と記事にあるように「支店」まであるということですが、日本は大丈夫なんでしょうか・・・。

東国原知事

 宮崎県の東国原知事の話題もかなり下火になってきましたが、一時は朝のワイドショーでの話題が、東国原知事一色になった時期もありました。それだけを考えますと宮崎県は、東国原知事になったことにより全国に一気に注目され、PRという面から考えればTVだけでも182番組、計22時間半放映され、これだけの時間をCM費用換算すると、何と165億円になったということですから、とてつもない経費が削減できた(165億円の臨時広告収入を得た?)計算になります。更にもっと小さなことでも、経費削減策の一環で競売にかけられた市場相場50万円程度の知事専用車が255万円で落札され、何と205万円もの収入増が見込まれました。
 以前にあった県議会の場面でも、なるべく県民に分かりやすい言葉で応答していた姿や、TVでコメントをされている内容を聞いていても、タレントであった為に当たり前でしょうが、それでもとても親近感のある感じで政治を私たち国民の近いところまで持ってきてくれた事は大きな功績であると思います。
 こんな面からこのことを考えますと、宮崎県民は東国原知事を選んだことは大正解であるように思われますが、本当の正念場はこれからです。政治家である以上、今までたくさんいらっしゃった政治屋さんとは、どこまで違う手法がとれるのか、またどれだけの手腕が発揮できるのか、本当の意味で一時のバカ騒ぎしかしないメディアを通さずに確認していきたいものです。
 しかし、三重県には日本人なら誰もが知っているものに「鈴鹿サーキット・伊勢神宮・伊賀忍者・ミキモト」などがあるにもかかわらず、三重県がどこにあるのかさえ知られていないことはもとより、それらが三重県にあるということすら知られていない事実があります。誰か三重県もPRできるような人、いないでしょうか・・・。

駐車違反

 先日仕事を終えて、乗ってきた車に戻ったところ、駐車違反のシールが張られていました。そこは歩道に設置してある機械に300円投入するとシールが出てきて、それをフロントガラスに貼っておくと1時間は駐車違反とならない場所でした。私は当然に300円を支払いフロントガラスに貼っていたのですが、時間が長引き40分ほど超過していた段階で駐車違反監視員の目に留まったのでしょう、すかさずシールが張られたのでした。確かに私は1時間しか止められない場所に1時間40分もの間駐車していましたので、違反であるとキップを切られても当然だとは思いますが、何かしら釈然としない、また納得の出来ない気持ちでした。
 取り締まられる側からすれば、最初にお金を払ってるんだからこれくらいは大目にみてくれよという気持ちになりますが、反対の立場で考えれば、一定の基準を設けてそれを超えるものは取り締まらなければ、何を基準に取り締まればいいか分からないはずなので、当然のことではあると思います。しかし、その事を分かっていても、(こんな事は調べれば分かることですが、気持ち的な事として)そもそも個人の所有でもない天下の公道に誰が1時間だけ停めていいと許可して、誰が何の権利でお金を徴収して、違反したからと誰が何の権利でキップを切るんだ、と思ってしまいます。
 しかしそういった考えは、人間の身勝手さから来るもので、立場によって人はやる事も、考える事も逆になる事があります。今まで取り締まられる立場であった者が、取り締まる立場になった途端に、正当な事を主張する事が良くあります。それはそれで社会生活を営む為には大変重要な事で、逆にそうならなければ社会自体が成り立たなくなってしまいます。そういう社会の仕組みを全て理解できれば、違反や争いは減ることでしょう・・・。

12人の冤罪

 先日、公職選挙法違反に問われ、冤罪を主張していた12名の判決が出ました。この事件は皆さんもよくご存知だとは思いますが整理しますと、4年前の鹿児島県議選で公職選挙法違反に問われた元中山県議が検挙され、その買収に係わったとされる12名も起訴され、取調べに対して自白によって5名は罪を認め、7名は無罪を主張したのですが、その後、自白した5名のうち不起訴処分になった男性は暴力的に自白を迫った警察の取調べの違法性が認められ、地裁は県に対し60万円の支払いを命じ、またその他の4名についても自白を強要されたと、警察の取調べの違法性を主張していた事件でした。
 以前からこのような警察の行き過ぎた取調べによって、冤罪を勝ち取る事件が何度か見受けられましたが、その度に色々と考えさせられるものです。私たち日本国民は、かつて世界最高の犯罪検挙率(2003年度は23.2%と現在は非常に低くなっていますが)を誇っていた日本国の警察に対し、平和で住みやすい環境を保ってくれていることに絶対的な信頼を置いていましたが、このように何も悪い事をしていない者が、ある日突然に身に覚えの無い容疑をかけられた挙句、暴力的に虚偽の自白をさせられ、犯罪者として拘置されるという、映画のストーリーのような現実離れした出来事が現実に起きている事に驚きを隠せません。
 確かに、本当に犯罪を犯した人に対し自白を取り付けることは、どれだけ大変な事か素人の私には計り知れませんが、普通に考えれば、ある程度心理的なプレッシャーなどを与えなければ、自白なんて取れないだろうと容易に想像できます。が、ここで敢えて言わせてもらうとするならば、このようなことを無くす為にも警察内部の昇進や表彰などに、犯罪の検挙件数や検挙率を基準にするのを止めてもらいたいと心から強く願います・・・。

たばこ

 以前のコラムでたばこについて書かせて頂きましたが、その時点では私は喫煙者でした。しかし、現在は念願の禁煙が成功し、たばこをやめることが出来ました。そう言いますと、喫煙者は私のことを偉いとか何かすごい決心があったのかとか言われますが、きっかけは実は二日酔いでたばこが吸えなくなったためでした。私はお酒は特別に強いほうでもなく、ごく普通にたしなむ程度なのですが、たまに調子に乗って飲みすぎると、次の日は夕方まで調子が悪く、特に二日酔いがひどいと2~3日調子が悪くなっています。そうしますとお酒は勿論の事、たばこさえも吸えなくなるので、それを利用して?ちょっと禁煙してみる事にしたのです。しかし、以前にやめようとした時どうしてもやめられなかったという諦めと、きっかけが二日酔いなだけに、気軽な気持ちで始めました。ですからその方法は結構変っていると人に言われたのですが、いつも吸っていたたばことライターを持ち歩き、お酒の席などで吸いたくなった時は「自分はいつでも吸えるんだから、今吸わなくてももっと吸いたい時に吸えばいいだろう」と思うようにしました。そうして数日経ちますと、吸いたくなった時はたばこを取り出して手に持ってから、「せっかく*日我慢したんやから、もうちょっと我慢してみよう。いつでも吸えるんやし。」と考えるようになり、いつの間にかたばこを持っていなくてもいいようになってきました。
 そんな健康に良いことをはじめて早3ヶ月、たばこをやめた方がよく言っておられる「メシが旨い」という感覚が芽生えはじめ、私にも思春期とは違う成長期がやってきてどんどん成長しています。
 こうやってこのコラムを読んで頂いている方々に堂々と「禁煙」を宣言する事で私は、二度とたばこを吸うことができないでしょう・・・。か?

骨髄バンク

 以前、臓器提供をしようと思い妻に相談してみました。妻は元看護士でしたので当然私よりも知識や考えがあり、私のその気持ちは非常に大切な事だと賛成はしてくれましたが、奇麗事だけでなく現実に提供することを見据えた際の問題点などを教えてくれました。
 臓器提供で脳死時に提供できるものと心肺停止時に提供できるものには違いがあり、心肺停止時に提供できるものは、脳死時に提供できるものの半分以下となっています。そう考えますと同じ提供するなら多くの臓器の提供をと考える訳ですが、確かに人の死というものを脳死時点で「死」として判断できるとしても、現実問題として生命の源である心臓が動いている状態で、その人の家族が「脳死ですから本人の意思を尊重して臓器を取り出してください」と本当に言えるのだろうか、と言う事です。また、臓器提供では無いですが、骨髄バンクなどは、登録するのは比較的簡単なようですが、いざ提供となった場合は、肉体的な苦痛を伴う提供を行い、また数日の休養が必要な為、お勤めの方などは有給を取ったり、主婦の方などは家事を協力をしてもらったり、医療機関までの交通費は自己負担したりなどと、肉体的にも金銭的にも負担を強いられます。ただ、これは提供者自身が奉仕の精神で行うために、そのくらいの負担は負担で無い、という事ではありますが、そんな人々の善意だけに頼ったシステムで果たして良いのでしょうか?
 脳死や心肺停止などの心的なものは、社会全体が死に対する考え方や、臓器提供に対する考え方が変わっていく必要がありますが、骨髄バンクなどは、肉体的苦痛を代替させる事はできないにせよ、せめて金銭的なものや時間的な代替や保証が出来るものくらいは提供者に負担させることが無いように、国や自治体がその対策を取る姿勢を是非見せて欲しいものです・・・。

ダイエット健康

 TVで健康やダイエットの特集を行って、特定の食品を取り上げると、その日か明くる日にはスーパーの陳列棚からその食品が無くなるという社会現象が起こります。不健康な現在の日本国民は、そのくらい健康やダイエットに対して関心があるということの表れですが、それは他のメディアでどれだけ取り上げるより、TVで取り上げることがここまで影響があるのかと再確認できる現象であると思われます。
しかし、影響が大きかった特集の数日後には、よくテレビ局のエライさんが「やらせ」の謝罪会見を行い、頭を下げておられます。そして今回の対称○対象)でない他のテレビ局や他のメディアはその社会的影響が多きい○大きい)事を取り上げて、やれ、けしからん事だとか、あるまじき行為であるとかいろいろ非難しています。そして、視聴者にインタビューを行い、更にその「けしからんさ」を強調していきます。
 社会的影響が大きかろうが、小さかろうが、「やらせ」や「でっち上げ」などは決して当たり前にやってはならない事ではありますが、そもそも健康やダイエットなどは普通に考えてみれば、即効性があるものは効果がなかったり、あったとしても体に良くない事くらい普通の成人であれば常識的に考えれば分かるはずです。しかしTVで取上げられたら、こんなに楽な方法があるのかと、自分に良い方に理解して、結果「騙された、悔しい、腹が立つ。」となっていきます。
 もっと日本の大人たちが冷静になって考えるようにすれば、日々の積み重ねが健康を保ち、また標準的な体重を保つのも適度な運動や適度な食事量、バランスのよい食事を取ることが一番重要で、その事を蔑ろにしては何も決して得られないんだという当たり前の再認識をして欲しいものです・・・。

団塊世代の大量退職

 あけまして おめでとうございます。2007年シシ年の初めてのコラムでございます。今年からは、以前からご指摘の多かった文字の大きさを少し大きくし、お読みいただきやすいように改良いたしましたので、またお付き合いいただければ幸でございます。
 さて、本年は団塊の世代の諸先輩方々が退職され始める年でありますので、いろいろと世間の流れなどが大きく変ってくると思われます。以前のコラムで少し触れましたが、この世代の方々は、戦争を体験していない世代の中で世間や体制というものに反発しながら一番過激な青春時代を過ごしてこられたようですが、成人してからは自身の将来や日本経済のために己の牙を隠し、立派な社会人として高度成長期終期の日本経済の成長を支えてこられました。その方々が以前のライブドアによるフジテレビの買収騒動の中で、どの世代よりも圧倒的にライブドアを支持するというアンケート結果が出たときに、そのような考え方の方々が私より上の世代に沢山おられることが非常に頼もしく思えたことを思い出します。
 そんな団塊の世代の方々が退職された後は、どのように過ごされるつもりでおられるのか、私個人としては非常に興味があります。それこそ「まだまだ若いモンには負けへんで」という気構えを持っておられる方々が、当然に隠居される年齢でも無いですし、退職金という大金が一気に手元に入ってきます。そんな中で耳にする事は、キャンピングカーを買って日本一周される方が多くおられるとも聞きますし、リゾート物件の値段が上がってきているとも聞きます。
 当然に今まで頑張ってきたご褒美として是非そんなことをして頂きたいですが、一つお願いするとするなら、今までの知識や経験を生かした仕事を少しづつでもして頂きたいと思います・・・。

エレベーター15,000円

 最近「いざなぎ景気」を超える好景気が続いていると政府は発表していますが、私だけなのかは分かりませんがその恩恵を被る事や、その気配を感じる事は全くありません。一生懸命に働いても働いても、収入が増える訳でもなしに、それでいて税金や社会保険料等の控除額は減るどころか、新しい制度ができたりして実質的には増えている感がします。こんな事を私が言いますと周りの人たちは「あんたは社長やからそんなん関係ないやん」とよく言われますが、それは合っているようで、間違っています。
 そもそも株式会社というのは、株式を発行して株主を募り、その出資金によって会社を設立し、運営は株主から選ばれたものが行い、将来的には「上場を目的」とするというものです。それが現在では大企業やその関連企業でない限り、第三者から出資してもらえるような事はほとんどありませんので、実質的には社長や社長一族が出資者になるために、株主と役員がほぼ同一の人物となってしまい、役員自体も会社を私物化していくケースが多い為に、多くの方の誤解を生じさせている事になっています。
 それを整理して考えますと、例えば株主=社長である場合、社長としての立場は株主から依頼され会社を運営する一種の「サラリーマン」です。その為、社会保険や住民税、所得税などを給与から源泉されますので、従業員と全く同等です。また株主としての立場では、決算時に会社が利益をあげている場合は、その利益に応じて株主配当が支払われるのですが、零細企業ではかなり多くの利益を上げない限り、配当する事はないでしょう。また、会社が利益を上げても、その利益に対する税率は約40%もかけられますので、そんなに大きな利益を上げる事もできません。ですから上記のような株主=社長という図式は、一方では給与所得者、一方では株主という二つの立場でいるわけです。
 話は戻りますが、好景気?が続く中で政府では、増税や社会保険制度の見直しが図られ審議されていますが、必要な増税や見直しは当然に必要なものとしてすべきであるとは思いますが、大きい事では年金基金の無駄を非常識に通り越した浪費や、小さいことではタウンミーティングで発覚した「エレベーターのボタン押しで15,000円」などの税金や年金の使い道を間違うどころか、意図的に浪費させるような風潮を先に改善しない限り、そんな改正や改革をしてもまた「お金があるから使おう」となるに決まっていますので、誰と誰が付き合っているなどという報道に力を入れずに、その事をメディアがもっと深く掘り下げて訴えて、またもっと時間と労力を割いて、国民の皆が監視する風潮を造って欲しいと願います・・・。