カテゴリー別アーカイブ: 2007

参議院議員選挙

 最近私も歳を取ってきたせいかどうかわかりませんが、今まで一向に腹が立たなかったことが、無性に立つようになってきました。逆に今まで腹が立っていたことが立たなくなってきたりしています。そんな腹の立つことの一つに政治に関することがあります。
 それは普段であれば「またやってるよ」とか「そんな無責任な」などと思っても何もなく過ごしてしまうことが政治の世界ではたくさんあって、何かしら半ば諦めのような気持で見ていますが、選挙が近づいてきた途端に与党は、選挙対策のみとしか思えないような子供だましのリップサービスで国民を愚弄しています。それが年金問題にしても政治資金問題にしても問題発言にしても税金にしても全てそうです。
 今までの政治的な問題は私たち国民に関係はあるとはいえども、直接的に関係がないことが多かったのですが、今回は年金問題や消費税率引き上げや所得、住民税など生活に密接にかかわる問題がたくさん出てきましたので、国民の関心度は日増しに高くなってきているように思えます。そんな中で先述しましたように与党は、本当に全国民を幼児程度にしか思っていないのでしょう、子供だましの発言と場当たり的な対策を繰り返し、何とか選挙を乗り越えようとしているのでしょうが、その対応や発言に無性に腹が立ってきます。今まで選挙が近くない時期には放っておいた事柄や問題を、さも大切な事のように対応している態度が、更に国民を馬鹿にしているように見えます。また野党にしても、これだけ国民の信頼をなくしている与党に対し、決定的な対策や発言ができず、重箱の隅をつつくような事柄で攻撃している姿にも心底呆れます。
 そんなこと言うならお前がやってみろ、と言われそうですが、ひとごとですから偉そうに言えるんです・・・。

パイレーツ桑田真澄投手

 最近の日本のプロフェッショナルと呼ばれる方々の中には、それぞれの分野で世界レベルでの活躍が目立ってきています。そんな中の一人に、39歳でメジャーデビューを果たしたパイレーツの桑田真澄投手もいます。
 桑田投手といえば私は個人的に非常に思い出のある方で、とはいっても知人であるとか、親戚であるとかではないのですが、何故私の思い出が深いかと言いますと、実は同じ年齢で学生時代に同じ野球をやっていたことに関係します。
 私は名張桔梗丘高校で一応野球部に所属し、一応キャプテンなどをやってはいましたが、もうかなり過去のことですから申し上げますが、「甲子園」などは夢のまた夢で行けるなどと鼻くそほども思ってはいませんでしたし、そこまで努力もしていなかったと思います。そうは言いましても当時から夏の甲子園を見るのが非常につらく基本的には今でも見ないようにしているのですが(球児の涙を見たくないので)、最後の夏の大会で敗退した私は、やることがなく何気なくつけたTVで桑田投手が投げている試合を1試合だけ見てしまいました。その試合の中での一場面しか覚えていませんが、その一場面が今でも私の心の中に残っています。
 それは、PL学園の守備でピッチャーは桑田投手、ノーアウト、一,二塁で点差はほとんどない状態で、当然相手は走者をすすめるために送りバントをしてきました。そこでバントした打球がピッチャー前にフライとなったので桑田投手はすかさずダイビングキャッチしながら向きを替え二塁へ送球、一塁へも送球し、トリプルプレーとなりました。その時高校生ながらに本当に心から感じたことが、「ほんまに運って実力のある人につくもんなんや」ということでした。それから20年経った今、私にはどれだけの実力がつけられたのでしょうか・・・。

デスノート

 以前のコラムで「ブラジルの殺人請負会社」について書かせていただきましたが、それを考えていて思い出したのが、内容は違いますが日本映画の「デスノート」でした。最初私はこの映画のタイトルからホラー映画だと想像していたのですが全く違いました。この映画は主人公である刑事局長の有能な息子が、この世から犯罪をなくし、より良い社会をつくることを理想としてデスノートを使い犯罪者を次々と殺していく中で、それを阻止しようとする刑事局長の父や天才的な少年との戦いを描いたものでした。
 この映画の内容は、前述の殺人請負会社のように簡単に人を殺すということでは一致していますが、その対象者が「犯罪者」に限定し、目的が「よりよい社会を創るため」といった大義名分があります。(本当は映画と現実といった違いは当然にありますが)このことを無責任にあまり深く考えなければ、「いいことではないのか?」と私は思ってしまいますが、よく考えますといろいろと問題点が出てきます。確かに犯罪者に対し極刑を下すということは、犯罪発生率自体を低下させる要因になり、より住み良い社会になる可能性があります。しかし、どこまでの犯罪に対し極刑を下すのか、それを誰がどういう基準で何の権利で下すのか、また本当にその人が犯罪者であるのかどうかを誰が検証、判断するのかなど問題点はたくさん出てきます。
 こう考えますと、前述のデスノートの問題点はさておいていても、現在の裁判制度や刑法の内容などは仕方がないと言えばそうでしょうが、人が人を裁くという前提自体がいろいろな問題を発生させている要因になっているように思えます。もしこの世に神が存在するなら、もしこれが神が裁く前提であれば、もっと問題のない違った裁き方が存在するのでしょうか・・・。

 ある日の朝、いつものように勤務先まで車を走らせていますと、いつもよりも澄んだ空が広がっていることに気付きました。その空を眺めていてふと思ったのが、「空はなんでこんなに青いのだろうか?」というものすごくクサーイ疑問でした。それをネットで調べてみましたら科学的に説明されていまして、青色は色の中でも波長が短く、その波長が短いほど空気中で散乱するので日中は空が青く見え、夕方になると波長の長い赤い色が・・・となんとも味気のない説明でした。説明としては科学的に説明されているので正しいのでしょうが、何か実感がわかないというか、よくわからない感じがします。というのも空の上(表現が正しくありませんが)には宇宙が存在し、その宇宙は基本的に「黒」色の世界です。その黒の世界の下にあんな鮮やかな青色の空がどうやって存在するのか、また夜は黒いのに昼には青になって朝夕は赤になるということは、一般人の私は科学的に証明されているのでそれを信用しても、理解するということとは中々一致しないなと感じました。
 同じようなことに夜の星の煌きもあります。地球から一番近い星でも4~5光年あるとされています。ということは今見ている星の光は最低でも4年から5年前の光であることは誰もが知っています。更に一番遠い星ですと何と約130億光年と言いますから、地球の誕生の約45億年前のまだ85億年前の光が今届いているんですから、科学的にそのことがわかっても、心情的に理解することや実感がわいてきません。
 そんなことを考えていますと前にもコラムで書きましたが、人間は科学的に証明されていることを信用する傾向がありますが、よくよく考えてみますと本当は証明されていない事柄のほうが多いことに気付きますし、証明されていても実感がわかないことが多いのにも気付きます・・・。

毛虫やカエル★なるほど!の1話

 朝夕が肌寒く昼にはぽかぽか陽気のこの季節に車を走らせていますと、冷房と暖房の切り替えを頻繁に行うようになり、今の季節は一体どっちにせなあかんねんや?毎年どっちにしてたんやろか?とよく考えます。そんな季節にほかに感じることは、よく毛虫を曳きそうになることです。特に山中の道路では「毛虫」がたくさん這っている姿を見かけます。道路の右側から左側に這っているものや、反対に左側から右側に這っているものまで様々ですが、こんなに危険な挑戦(彼らはそうは思ってはいないでしょうが)をしてまで、この毛虫たちはその道路の向こう側に、いったい何を求めているのでしょうか?例えば、道路の左側で生まれた毛虫は右側に行かなければ成虫になれないとか、道路が暖かいのでただ単に道路に出たいだけなのかよくわかりませんが、不思議に大量に道路上で這っています。
 そんな毛虫をよけながら運転していて「あれ?ちょっと待てよ」と思ったことが、この毛虫たちは道路の右側から左側へ行くか、左側から右側へ行くしか見たことがなく、道路を進行方向に進んでいる姿や、逆に向かってきている姿を見たことがなかったのです。しかしその時は、恐らくそんなに注意深く見ていないからだろうなと思ったんですが、それから毎日注意深く毛虫の動きや向きを観察していましたら、百歩譲って若干斜めに動いていそうな毛虫はいましたが、真っ向から向かってくる毛虫や、私の進行方向に向かって進む毛虫は一切いませんでした。それがわかってネットでその理由を調べてみましたが、どこにも掲載されておらず、非常にモヤモヤとした気持ちになりました。その他にも道路を横断する生き物には雨の日のカエルもいます。そういえばカエルも道路を左右に横断するイメージがありますが、カエルも毛虫と同じで縦には進まないのでしょうか・・・。

特待生問題

 私たちが普段生活していている中で、何かおかしい、どうしてそうなるの?といったことはこの世の中に山ほどあります。先日報道された「野球部員特待生制度問題」もその一つです。日本学生野球憲章13条の規定によれば確かに違反していますが、そもそもなぜ野球の特待生制度が禁止されるのか全くもって疑問です。確かに最近の報道を見ていますと野球界のモラルの無さは度が過ぎている感もありますし、また決まりごとは当たり前に守られなければならないことは明白であるので異議を申し立てる余地はありません。しかし、学校側の都合で特待生制度があたかも何の問題もないと思わせるほどに世間一般に浸透するくらい堂々と行われていた事実や風潮がある中で、私などは「疑問です」だけで済みますが、それこそその制度があるから遊びたいのも我慢して一生懸命に野球一筋にきた子供や、本当に実力があるのに経済的な理由から援助がなければ野球ができない子供はこれからどうすればいいのでしょうか?それこそ野球で特待生になれる運動能力のある子供であれば、まだ方向転換が間に合う時期であれば、ほかの特待生度のあるスポーツに鞍替えすることもできるでしょうが、それでは野球界では問題はなくなりますが、スポーツ全般でみれば高野連が訴えている問題点の解決には全くなりません。そう考えますと、他の連盟も今この時期に一斉に特待生度の廃止を行うようにしていくべきと思いますが、横のつながりがあるのかないのかよくわかりませんので、ここは政治的にこの問題を解決させるしかなさそうです。
 ただ一つ疑問なのは、スポーツでの特待生制度を禁止するならば、勉強で特待生制度を取っている事と、スポーツで特待生制度を取っていることにどのような違いがあるのかを解りやすく説明してほしいものです・・・。

殺人請負会社

 先日、ヤフーのニュース欄を見ていますと、以下の記事に目が留まりました。
「ブラジルで殺人の請け負い会社が摘発され、殺し屋の「社員」、およそ20人が逮捕されました。ブラジルの警察当局によりますと、この会社はブラジル北東部に本社を置き、5年以上にわたって、週平均3、4人、年間およそ200人を殺害していました。殺人1件あたり日本円にして6万円から30万円で殺人を請け負っていたということです。逮捕された「社員」の中には現役の警察官7人も含まれていて、殺人の証拠隠滅まで行っていたとみられています。捜査当局は、ブラジル国内にこの会社の「支店」があるとみて捜査しています。」
 この記事の扱いは他の芸能ニュースなどよりも非常に小さく、また他のソースでも同じ情報しかなかったのですが、これってものすごいことだと思いませんか?例えば本当に極端にいえば、今まで普通にお付き合いしていたお隣の方とゴミの出し方で揉めてしまい、非常に感情的になったとします。そこで隣の方があまりにも腹の虫が収まらないので何とかすっきりしたいと考えているときにこの「会社」の事を思い出して、5万円でお隣さんを殺してくれるならと殺人の依頼してしまう、こんなことが簡単にできてしまうのです。ブラジルの法律でこれが罪なのかどうなるのかは知りませんが、日本では当然に罪になりますし、道徳的に簡単には依頼しないでしょうが、法律で裁かれるとは言っても、こんなことが頻繁に周りで起きていますと、少し揉めただけで「殺されるかも」と思えば、「じゃあ殺されるより先に殺してしまえ」となってもう収拾がつかない状態になってしまいます。
 しかしブラジルではもうこれが当たり前なのかして、何と記事にあるように「支店」まであるということですが、日本は大丈夫なんでしょうか・・・。

東国原知事

 宮崎県の東国原知事の話題もかなり下火になってきましたが、一時は朝のワイドショーでの話題が、東国原知事一色になった時期もありました。それだけを考えますと宮崎県は、東国原知事になったことにより全国に一気に注目され、PRという面から考えればTVだけでも182番組、計22時間半放映され、これだけの時間をCM費用換算すると、何と165億円になったということですから、とてつもない経費が削減できた(165億円の臨時広告収入を得た?)計算になります。更にもっと小さなことでも、経費削減策の一環で競売にかけられた市場相場50万円程度の知事専用車が255万円で落札され、何と205万円もの収入増が見込まれました。
 以前にあった県議会の場面でも、なるべく県民に分かりやすい言葉で応答していた姿や、TVでコメントをされている内容を聞いていても、タレントであった為に当たり前でしょうが、それでもとても親近感のある感じで政治を私たち国民の近いところまで持ってきてくれた事は大きな功績であると思います。
 こんな面からこのことを考えますと、宮崎県民は東国原知事を選んだことは大正解であるように思われますが、本当の正念場はこれからです。政治家である以上、今までたくさんいらっしゃった政治屋さんとは、どこまで違う手法がとれるのか、またどれだけの手腕が発揮できるのか、本当の意味で一時のバカ騒ぎしかしないメディアを通さずに確認していきたいものです。
 しかし、三重県には日本人なら誰もが知っているものに「鈴鹿サーキット・伊勢神宮・伊賀忍者・ミキモト」などがあるにもかかわらず、三重県がどこにあるのかさえ知られていないことはもとより、それらが三重県にあるということすら知られていない事実があります。誰か三重県もPRできるような人、いないでしょうか・・・。

駐車違反

 先日仕事を終えて、乗ってきた車に戻ったところ、駐車違反のシールが張られていました。そこは歩道に設置してある機械に300円投入するとシールが出てきて、それをフロントガラスに貼っておくと1時間は駐車違反とならない場所でした。私は当然に300円を支払いフロントガラスに貼っていたのですが、時間が長引き40分ほど超過していた段階で駐車違反監視員の目に留まったのでしょう、すかさずシールが張られたのでした。確かに私は1時間しか止められない場所に1時間40分もの間駐車していましたので、違反であるとキップを切られても当然だとは思いますが、何かしら釈然としない、また納得の出来ない気持ちでした。
 取り締まられる側からすれば、最初にお金を払ってるんだからこれくらいは大目にみてくれよという気持ちになりますが、反対の立場で考えれば、一定の基準を設けてそれを超えるものは取り締まらなければ、何を基準に取り締まればいいか分からないはずなので、当然のことではあると思います。しかし、その事を分かっていても、(こんな事は調べれば分かることですが、気持ち的な事として)そもそも個人の所有でもない天下の公道に誰が1時間だけ停めていいと許可して、誰が何の権利でお金を徴収して、違反したからと誰が何の権利でキップを切るんだ、と思ってしまいます。
 しかしそういった考えは、人間の身勝手さから来るもので、立場によって人はやる事も、考える事も逆になる事があります。今まで取り締まられる立場であった者が、取り締まる立場になった途端に、正当な事を主張する事が良くあります。それはそれで社会生活を営む為には大変重要な事で、逆にそうならなければ社会自体が成り立たなくなってしまいます。そういう社会の仕組みを全て理解できれば、違反や争いは減ることでしょう・・・。

12人の冤罪

 先日、公職選挙法違反に問われ、冤罪を主張していた12名の判決が出ました。この事件は皆さんもよくご存知だとは思いますが整理しますと、4年前の鹿児島県議選で公職選挙法違反に問われた元中山県議が検挙され、その買収に係わったとされる12名も起訴され、取調べに対して自白によって5名は罪を認め、7名は無罪を主張したのですが、その後、自白した5名のうち不起訴処分になった男性は暴力的に自白を迫った警察の取調べの違法性が認められ、地裁は県に対し60万円の支払いを命じ、またその他の4名についても自白を強要されたと、警察の取調べの違法性を主張していた事件でした。
 以前からこのような警察の行き過ぎた取調べによって、冤罪を勝ち取る事件が何度か見受けられましたが、その度に色々と考えさせられるものです。私たち日本国民は、かつて世界最高の犯罪検挙率(2003年度は23.2%と現在は非常に低くなっていますが)を誇っていた日本国の警察に対し、平和で住みやすい環境を保ってくれていることに絶対的な信頼を置いていましたが、このように何も悪い事をしていない者が、ある日突然に身に覚えの無い容疑をかけられた挙句、暴力的に虚偽の自白をさせられ、犯罪者として拘置されるという、映画のストーリーのような現実離れした出来事が現実に起きている事に驚きを隠せません。
 確かに、本当に犯罪を犯した人に対し自白を取り付けることは、どれだけ大変な事か素人の私には計り知れませんが、普通に考えれば、ある程度心理的なプレッシャーなどを与えなければ、自白なんて取れないだろうと容易に想像できます。が、ここで敢えて言わせてもらうとするならば、このようなことを無くす為にも警察内部の昇進や表彰などに、犯罪の検挙件数や検挙率を基準にするのを止めてもらいたいと心から強く願います・・・。