カテゴリー別アーカイブ: 2010

熱中症

 最近の猛暑で全国的に熱中症になる方が増えています。さすがに、この暑さですと外に出て何もせず、ただじっとしているだけでも、滝のような汗が吹いてきますので、運動などしている場合は、よほど気をつけないと熱中症になってしまうのも頷けます。余談ですが、私が学生の頃は熱中症という言い方をしなくて熱射病と言っていたので、何が違うのかネットで調べてみますと、熱中症という大きなカテゴリーの中に、症状によって熱失神、熱痙攣、熱疲労、熱射病があるようで、日射病などともよく言いましたが、これは熱射病の言い方の違いで、同じ症状らしいです。そんな熱中症を防ぐためには、よく言われることですが、水分と塩分をよく摂る事が重要のようで、運動をする場合以外でも、外出する際にはスポーツドリンクなどを持参していくよういろんなところで呼びかけられています。と、ここまで書きますと、私達の世代の方は絶対といっていいほど「自分たちの頃は、運動中に絶対に水を飲んではいけなかった。」と口を揃えて言われます。
 しかしその理由を聞きますと、ある人は「バテるから」とかまたある人は「根性つけるために」とか「ただのシゴキで」とバラバラです。確かに私もこんな酷暑の中で、ピッチャー組と称して、他の部員とは違う運動メニューをこなす際に、例えば校外への10km程度のランニングに出かける際には冬場に防寒のために着込むウィンドブレーカーをわざわざ着込んで走りに行き、帰ってきても水一滴も飲まず、アンダーシャツだけ着替えて投球練習に入ったものでした。
 今考えれば、相当無茶なことをしていたのですが、そのことを当時の監督や学校、保護者から全く何も指摘が無かったのは、「時代が違うから」の一言で片づけられるものなのでしょうか。それとも今の人達が過敏になりすぎているのでしょうか・・・。

佐野元春と桜井和寿

 先日、車のTVで意識せずに流れていた番組に何気なく眼をやると、私が中学・高校時代にハマっていたシンガーソングライターの佐野元春さんが出演していました。その番組は以前にも一度たまたま見ていた番組で、どうやらそれは佐野元春さんがホスト役で、大学の教室のようなところにいろいろなミュージシャンを招いて対談し、学生?にもゲストに質問させるという内容のものでした。今回のゲストはミスターチルドレンの桜井和寿さんでしたので、お互いがソングライターとしての話をされていましたが、桜井さんは佐野さんが「こういうところは、こうでしょ?」ということに対して、結構そうでもないようなことを言っていて、佐野さんが進行をしにくくなってる様子が面白く映りました。ただ、その中で唯一佐野さんと桜井さんの意見が合ったのが「名もなき詩」の歌詞で「愛はきっと奪うでも 与えるでもなくて 気が付けばそこにあるもの」を佐野さんが「このフレーズができた時はすごく嬉しかったでしょ」と問いかけた時桜井さんが「すごく嬉しかったです」と答えたことでした。その後桜井さんは、「愛は与えるもの」といった世間で「当たり前」や「こうだ」と思われていることは、実はそんな面ばかりでなく、違った捉え方があることを表現できるフレーズを生み出したときに最高の喜びを感じるというような話をされていて、思わず私も納得していたのでした。
 その日の夜にそんな番組を見たことも当然に忘れて、お酒を嗜んで話をしている中で、まともな人とまともでない人の違いの話になり、周りから見てまともでないと思われている人も、周りから見てまともと思われている人も、皆自分はまともな人であると思っているのは何故か?という疑問が湧いてきました。話をしている中で何となく結論めいたのが、誰もが皆、普通の感覚を持っている部分があり、誰もが皆普通でない感覚を持っている部分がある。その中で、周りから見れば、たまたま普通でない部分が強調されていたり、その部分しか見えていない場合は、その人が「まともでない人」となるけれども、自分自身が自分を判断するときは、何故かまともでない部分のみを削除して、まともな部分だけを自分の感覚として捉えているからではないか、ということに達しました。そう考えると、少しずれているなと思えるような人を含めて殆どの人が「私はまともな感覚を持っている」と考えていることが納得できそうです。 
 結局のところ、何の定義を持って「まとも」なのかということ自体、曖昧ではありますが、「当たり前」に自分自身の事を「まともである」と思っていること自体を考え直してみたほうがいいかも知れませんね・・・・。

W杯日本代表

 私が今このコラムを書いているのは、日本がデンマークに勝利した日の午後ですが、このコラムが出る今日は、すでに決勝トーナメント1回戦のパラグアイとの勝負の結果も出ていて、日本がパラグアイに勝利していれば、本日の深夜27:30から準々決勝がキックオフされます。よく考えてみますと日本はFIFAランクが45位と、オランダの4位、カメルーンの19位、デンマークの35位と、予選Eグループの中で一番ランクの低いチームでしたが、予選を2位で通過するという快挙を成し遂げました。そう考えますと、予選通過しただけでも十分な成果だと思うのですが、人間というのは欲深いもので、こうなればどこまでも上位に勝ち進むことを期待してしまいますし、今の日本代表にはその勢いがあります。
 「勢い」というものは、決して目に見えるものではなく、あくまで感覚的に感じるものだと思うのですが、私も中・高と野球をやっていまして、その目に見えない「勢い」というものが勝負の結果を大きく左右するということを、どれだけ直接肌で感じことでしょう。大会前に無名であったチームでも、勢いがあるチームというのはその戦いぶりが見ていて気持ちのいいものであり、またどういう訳かチャンスに強く、「点を取るだろうな」と思うところで必ず取ります。また仮に敗戦したとしても見る側もプレーする側もと気持ちのいい敗戦となります。
 そうしますと今の日本代表の「勢い」は、既にパラグアイに勝利していて、今日深夜の準々決勝でスペインや、ポルトガルなどの本当の世界のトップと互角の勝負をするかもしれません。(既にこの希望的観測が外れて敗戦していたらすいません)
 正直、個人的には特に興味のあるプロ野球球団が無い私には阪神の優勝と同じで、サッカーに興味が無くても、周りが騒いでいると結構楽しめるものなのですね・・・。

引責辞任

 唐突ですが、例えば皆さんが責任のある立場で活動している場合に、かなりリスクのある決断をしなければいけない時、又は自らの不注意によって失敗したり、不正の発覚により問責された時、どのような行動をする事によって責任を取ろうと考えるでしょうか?恐らく「即辞任」や「即辞職」によって責任を取ろうとする方が大半で、また周りの方もそれが当然であるという認識になると思います。世間一般ではそういった責任を取ることの最大の方法は「辞任」であり、「辞職」であるという認識があるように思います。しかし私は、いつもこの責任問題に発展した終結が「辞任」や「辞職」となることにいつも違和感を覚えます。確かに責任を取ってその「責任のある地位や職」で無くなる事は大きな事ではあるかとは思いますが、逆に言えば、責任のある地位や職で無くなる事によってその「責任から逃れる」事にもなる訳です。極端な言い方をすれば、その責任を別の人が引き継いで、大変な労力と時間をかけて問題の解決や信用の回復に努めているその時に、当の本人はその渦中の外にいてその責務から開放されているわけです。
 ですから私は、こういった責任問題が発生した時にいつも思うのですが、その本人が問題の解決などをある程度行い、事態がある程度収束した後に「辞任」なり「辞職」し、個人的に補償などをする事によってはじめて本当に責任を取った事になるのではないのかと思っています。何故ならある一部の特別な利益のある地位や職で無い限り、大半の責任のある地位や職は、世間の方が思うほどその地位や職から恩恵を被ることもなく、それに比較してリスクの負担や労力や時間の負担などのデメリットの方が大きい場合が多いからです。
 これからは、本当の意味で責任を取るような行動を世間が求めてほしいと密かに思ったりしています・・・。

米や麦

 このコラムを書いている今時点で、日経平均株価が一万円を下回っています。米ドル為替も91円台とかなりの円高の状態になっています。このような状態では輸出産業を含めた日本の経済全体がetc・・・などと、キャスターや経済評論家などが難しい話を毎日のようにされていますが、我々一般庶民からみますと、こんな経済の事は、確実に私たちの生活に影響を与えているのは何となく分かるような気がするのですが、海外旅行やブランド品を購入する時以外は自分に直接関係が無いように思えるので、実感としてはあまり感じられないというのが、殆ど方の本音では無いでしょうか。ましてや円高になればなるほど、輸出企業を含めた大企業がとてつもない損害が出て、日本経済に多大な影響を与えるんだろうという位は何となく分かっていますが、庶民の立場で言えば、「やった-。海外旅行に行きやすくなる」という思いのほうが大きいような気がします。こういう経済の事に強く関心を示す人というのは、金融関係や政治関係のお仕事をされている方や、お金持ちだと思いますが、そんなお金に関してあまり縁の無い私たちが、先日会社でこんな話をしていました。
 お金というのは、その紙切れを皆が価値があると思っているから貴重なだけで、それを皆が「価値無し」と思ってしまったら、それこそ紙クズになる。だとすると、そのお金を価値のある「金」に替えたら安全か?と言えばそもそも「金」に価値があるとしているだけで、「金」自体で何が出来る訳ではないので、それこそ皆が価値無しと判断されれば、ただの鉄クズでしかない。
 するとお金を何に代えれば一番いいのか?となると価値が下がろうが上がろうが関係なく、そのもの自体に意味があるもの、例えば「米」や「麦」という保存ができて私たちの「生存」に必要なもの、なのではないのだろうかと・・・。

個人情報保護法

 個人情報保護法、道路交通法、貸金業法、消費者保護法、建築基準法・・・etc、私たちの周りには本当に色々な法律があります。その法律がどのくらいの数があるのかインターネットで調べてみますと、何と約500もの法律があることがわかりました。その一つ一つを見ていますと、私たちの生活にかかわりが深いと思われる法律の中にも、全く見慣れない法律があったりします。例えば、「立木ニ関スル法律」や「遺言の方式の準拠法に関する法律」、「偽造カード等及び盗難カード等を用いて行われる不正な機械式預貯金払い戻し等からの預貯金者の保護に関する法律」、「仲裁法」など、そんなことまで法律としてあるのか、という感じです。
 そもそも法律というものの本来の目的が、どこにあるのか私は専門家で無いのでわかりませんが、私が思う法律の効果は、基本的に困っている人を助けるものであったり、秩序を作るためのものだと思っているのですが、現実問題として法律があるがゆえに、真面目に法律を守ろうとする人や企業が多大なる負担や犠牲を払ったり、昔の基準をそのままにしているがゆえに、現在の実情とはかけ離れている規制を強いていたりするものが数多くあるように思えます。ほんの一例ですが、個人情報保護法などは、その法律を完全無視した業者のメールや郵送物など、私たちが一番規制してほしいものに対しては何の効果もなかったり、道路交通法では道路の制限速度などは、昭和の35年の設定以来、一度もその最高速度が更新されていなかったりと、自動車の性能の向上を完全に無視した法律になっていたりします。
 確かに、規制をしたい対象や人に対して効果的にその規制をかけるということは、素人目から見ても相当困難な事柄だろうと解ります。しかし、だからと言ってそのままにするのだけは、やめて欲しいですよね・・・。

演歌

 最近歳を取ったせいか、早朝の4時や5時に一度目が覚めるようになってきました。それまでの私は、睡眠時間の話題になると決まって「俺は8時間の睡眠が絶対に必要!」と断言するくらいよく寝ていましたが、最近はこんな感じに目が勝手に覚めるようになってしまいました。しかし、昼間に眠くなるのが分かっているので、無理にでも寝ようとするのですが、睡眠を取るのに体力が必要なのか、どうも長時間の睡眠が取れなくなってきています。しかし、例えば4時に目が覚めたために、TVなどをつけて時間つぶしをしていますと、何故か7時過ぎごろから睡魔が襲ってきまして、「ちょっと寝よ」と目を瞑ろうものなら、起床時間ギリギリの8時ごろには一番睡眠が深い状態になってしまい、物凄く重たい頭を無理やりに起こす羽目になってしまいます。こんな事なら、4時にそのまま寝ていれば、7時半ごろにはとても気持ちよく起床できたはずなのに、と毎日のようにそんなことを繰り返したりしています。
 そんな歳を取ったと感じることには、食事や趣味などにも感じられるものがあります。40歳を超えるまでは控えているつもりでも、油物にマヨネーズやソースをたっぷりとかけて全てのおかずが「お好み焼き味」になる食事が少なくとも2日に1度はありましたが、最近では1カ月に1日あるかないかの頻度ですし、食べる量も目では「これだけ食べたい」という量があるにも関わらず、実際にはその7割程度食べればかなり満腹になってしまい、いつも後悔していたりします。
 また昔は、車や部屋で必ずと言っていいほど自然に音楽をかけていましたが、今では全くと言っていいほどかけることがありませんし、極めつけで昔は「演歌」を聴いても何とも思わなかったのが、今は心に染みるようになってきたことが一番「歳とったなあ」と、感じさせられる変化です・・・。

名張市長選挙

 このチラシが出るころには既に話題に上がらなくなっているでしょうが、昨日名張市長選挙の結果が出ました。今年はこの市長選に始まり、参議院選、市議会選と選挙のなかった穏やかだった一時期も過ぎ去り、選挙の年となりそうです。昨年の国政は、国民が驚くほどの民主党の圧勝でした。しかしそれは民主党支持というよりも、現政権に対してNoを突き付けた結果であり、それほど民主党に過度の期待はしていないようにも思えました。その民主党は確かにマニフェストを守るという大前提はあるにせよ、民主党が掲げた「聞こえの良い約束」を、国民全員がそれをすべて実行せよ、と心から思っていないであろうにもかかわらず、変な正義心なのか、それとも意地なのかはわかりませんが、ある特定の部分だけやけに固執しているように思えます。それだけ固執している部分があるかと思えば、前政権と変わりのないバラマキなどによって、改善がされていないものも多くあります。しかし、民主党の肩を持つわけではないですが、これだけは言えると思いますが、政権が変わったことによって今まで問題視されてこなかった事項が問題視され、ある特定の部分だけでも税金の無駄使いが省かれたものもあることは事実です。そう考えますと先述のように、国民が民主党に対し、過度の期待をしていなかった事を考えれば、一部でも改善されれば、政権交替した意味も見出せそうです。
 そんな中での今回の名張市長選の結果は、皆さんがご承知のように、現職が当選しました。当然に現職と無名新人との戦いでは、当初から現職が優勢なのは明らかではありましたが、その全くの無名の新人が、二期市長を務めた現職に対し、わずか3500票、得票率で約45%を獲得したということは、それだけ現職に対しての変革の期待が大きい、ということでしょう・・・。

パソコン

 私だけかもしれませんが、つい5年前くらいまでパソコンといえば、書類を作成したり、顧客入力したり、分析をしたりと、それまで手書きや手計算していた煩雑な作業を、綺麗に素早く処理をする機械としてだけ利用するにすぎませんでした。それが今では、仕事はもとより私生活において無くてはならないものになってしまいました。以前からも、ある意味そうではありましたが、それでも使わない時間も多く、数名で1台を共有していたものが、今では一人1台どころか、ビジネス用、プライベート用、モバイル用などそれぞれの用途で持つ人も少なくありません。そうなった理由は明らかで、以前はインターネットをしていなかったのが、今ではパソコンに向かう時間の殆どをインターネットで占めるようになってきたためでしょう。
 インターネットというのは、なかったときは当然に何も不自由など感じていなかったものが、一度やり始めると、ネット環境が無ければものすごく不自由に感じてきて、用があろうが無かろうが関係なくヤフーのページを開けています。ネットというのは、人に聞くより早く、正確な情報が入手できたり、新聞やニュースで見聞きするよりも早くニュース情報を入手できたり、出向いて買物するよりも安く、しかも自宅まで届けてもらえたりしますので、私には既に仕事は勿論の事、プライベートでも無くてはならないものとなってしまっています。
 携帯電話同様、今までに私たちの生活の中に無かったものが、ものすごく早いサイクルで無くてはならないものになってきています。この先、こういった便利グッズは一体どこまで私たちの生活を便利にし、一体どのくらい開発されていくのでしょうか。
 しかし、それを深く考えれば、それが本当に「人」にとって良い事であるのか、解りませんね・・・。

ピロリ菌

 私的なことですが、私は、昨年末から胃の痛みと吐き気がしていたものですから、年始までの1か月ほどはアルコール類を一切摂れませんでした。普段の年末年始はそれこそアルコール漬けといっていいほど毎日のように宴会に参加し、浴びるほど飲んでいましたが、この年末年始はそれらの宴会で、一生懸命お茶を飲んでいました。そのためか、1月中旬に会社で行った健康診断では、今まで非常に数値の高かったGTPの値が、正常値より少し上の値まで下がっていまして、更には中性脂肪を除く殆どの数値がほぼ正常値を示していました。これでようやく健康体か、と思いきや一向に良くならない胃の調子のため、胃カメラ検査をすることにしました。胃カメラはこれで3度目ですが、何度やっても慣れるものでもないこの検査を、母曰く「あんなもん。何ともないよ。普通そんなもんよ」と言うので他の人に聞いてみましたら、殆どの人が、「二度とイヤ」という返答でしたので、恐らく母の喉が異常に鈍感なのでしょう。話はそれましたが、その検査の診断の結果は、期待通り?の胃潰瘍と十二指腸潰瘍の併発だったので、すぐに治療を開始しました。治療も終わり、先生から「ピロリ菌があるので胃潰瘍になりやすい」と言われ、そのピロリ菌とやらを退治することになりました。完治してみますと、どれだけ効果があるのかと居酒屋通いをしてみました。すると、今までの私は、お酒を飲むと酔っ払う前に気持ちが悪くなる為に、ある程度の量しか飲めなかったのですが、退治してからというもの、どれだけ飲んでも気持ちが悪くならないどころか、二日酔いまで解消されていました。そうなりますとついつい調子に乗ってしまい、立て続けに記憶を亡くすほどの飲酒を行ってしまいました。
 健康のためにピロリ菌を退治しましたが、退治したことにより飲酒で健康を害しそうな勢いです・・・。