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スマートフォン

 巷では、スマートフォンとやらが流行っているようで、携帯電話は既に時代遅れなどと言われるようになってきました。以前にどこかで見たサラリーマン川柳では、「ケータイに やっと慣れたら スマートフォン」みたいな作品が賞をとっていたように思いますが、我々オヤジ世代にとっては、やっと時代の最先端機器に慣れたころには、既に更なる最先端機器が流行っているという、辛い時代になってきました。そんな風潮がありますと、ほんの少しだけですが天邪鬼な性分のある私は、あと2年くらいは携帯電話を意地でも使ってやる、と周りに言い回っていたのですが、先日残念ながら携帯電話を水溜りに落としてしまい、今更どうせ買うならとスマートフォンを購入しました。
 購入してすぐは、全く操作方法の違う機器ですから当然扱いにくく感じましたが、使っているうちに操作方法というよりも、この機械でできることの便利さに、もう既にスマホを手放せない状態になってしまいました。スマートフォンというのは、今まで携帯では画面が小さすぎて使いづらかったインターネットでの調べものや、会社用のメールの受信、フェイスブックのチェックにインターネット動画や配信映画の鑑賞、ゲームや翻訳、スケジュールの管理など、小さいパソコンとテレビを持ち歩いているようなものです。それでもまだまだ私の知らない使い方がたくさんあり、その機能の100分の1も使いこなせてないと思います。と言いますか、世間でもスマートフォンの用途、使途については電話機能以外は未だ確立されていないようですので、これからは今までに思いもよらないような使い方や分野で活躍する日も遠くないことでしょう。
 そんな、どんどん便利になる世の中というのは、一体どこまでいけば終着点になるのでしょうか・・・。

タイ

 2年ほど前に、タイから10数名ほど名張西高校に留学に来た女の子の一人を受け入れたことがありました。その子が帰国してからも連絡を取り合い、ついに今月初めタイに会いに行きました。私にとってタイは初めて訪れる国で、イメージではトゥクトゥク(三輪タクシー)がでこぼこ道を砂煙をあげながら、クラクションを鳴らしまくって走っている、という想像でした。が、バンコクに着いてかなり驚きました。最近開発されたばかりなのでしょう、かなりオシャレで大規模なファッションビルが数多く立ち並んでいました。更に驚いたのが、バンコク一の規模のビルには、世界の名だたるブランドショップが数多く出店していて、更に上層階には何とランボルギーニなどの超高級車が数社展示販売されていました。タイの大卒初任給が6万円程度と、日本の3分の1の物価の国で、日本の価格に換算しても2~3倍(即ち日本の感覚の10倍)ほどする高級車を購入できる人が多く存在するほど、格差社会が顕著に表れています。
 そんなタイで、大学生の彼らは試験中にもかかわらず汗を一杯掻きながら一生懸命に観光案内してくれるだけでなく、彼女がお世話になったというだけで食事や観光の費用まで支払ってくれようともしました。普通のサラリーマン同士でも10倍もの収入の差があるのにです。良く見ていますと彼は、案内してくれている間、物乞いの人には必ずお金をあげていましたし、魚やカエルなどを川へ放流する(タンブン)もやっていました。後でネットで調べて納得できたのですが、タイの人は、現世で徳を積めば積むほど来世は幸せになれると信じているらしいのです。当然、彼らは日本に留学できるくらいのある程度の富裕層だからというのはあったとしても、また全ての人がそうであるわけではないでしょうが、基本的にこういう国民性ってかなりいいですね・・・。

迷惑メール

 最近になってから、今までは全く来なかった携帯電話への迷惑メールが頻繁に来るようになりました。これまでも会社のPCは日に100通以上メールが来るうち半数以上は迷惑メールですが、PCの場合は一括で処理できますので苦労しません。しかし携帯電話の場合は削除や拒否設定はとても面倒で、しかも時間に関係なく届きますので、これこそかなりの迷惑メールと言えます。
 以前ほどやかましく言われなくなりましたが、個人情報保護法が制定されている今のこの時代で、どうして勝手に自分のアドレスが流出するのかが疑問です。大企業でなくとも、零細企業の我々でさえ個人情報の扱いには何かあっては大変だということで大変気を遣い、慎重に扱っています。また例え、自らが取得した個人情報のリスト以外で、大変貴重なリストを万一手に入れたとしても、それを使用する段階で普通の常識を持っている人であれば、自らにストップが掛かりますので、これらを平気でこのように使用している人達がまともな人達であるはずがないことは明確です。
 そんなまともでない人たちが送ってくるメールに、何千分の一か、何万分の一の確立かは知りませんが、騙される人が後を絶たないから、こうやって頻繁に手を変えて送り付けてくるのでしょう。間違いなくおいしい話やラッキーな話が自分にくるなんて無いと思い込んでいれば、殆どの場合は、一瞥しただけで迷惑メールであることが明白です。
 しかし、その中のごく一部に自分宛に来たメールかどうか、一瞬迷うものもあります。そういうものは、少し読んでから削除するのですが、読むと余計に迷うときもあります。そう思った時ちょっと怖くなりました。もしかしたら、その迷うようなメールを目立たす為に、一瞬でわかる「捨て駒」メールを敢えてこれほど頻繁に送ってきているのではないだろうかと・・・。

65歳以上の貯蓄額

 先日、インターネットをしていて、ふと出てきた数字を見たとき、にわかに信じられない数字が飛び込んできました。それは、「65歳以上の2人以上の世帯の貯蓄額が4000万円以上の世帯が16.8%」というものです。昨年生活保護費が3兆円を超えたというニュースが流れましたが、生活保護を受ける全世帯が144万世帯いる中で、働かずとも一生食べていくに困らないだけの貯蓄をしている人がこれほど多くいるとは、何とも不思議なものです。これをもう少し詳しく調べてみますと、世帯主が65歳以上で2人以上の世帯が約1500万世帯の中で、生活保護世帯が約50万世帯ということですから、実にその5倍にあたる252万世帯が4000万円超の貯蓄があるというのです。それを2000万円以上の貯蓄がある世帯に広げますと何と40%にあたる600万世帯、1000万円以上にまで枠を広げますと驚きの63%950万世帯にもなります。
 確かに22歳から働き出して、月2万円をコツコツと65歳まで貯蓄をしていれば丁度1000万円くらいにはなります。それを私も同じ事をしろと言われてもなかなかそれだけの根気が続かないと断言できますが、今の65歳以上の方々は私の想像を遥かに超えた根気でしっかりと、そして着実に貯蓄をされてきたのでしょう、感服するばかりです。当り前に2000万円以上貯めるには、毎月コツコツばかりでなくボーナスなども節約して、そして最後に退職金を加えてそれだけの資産を形成されたのだと思います。
 そんなことが判って始めて、老人を狙った詐欺がこれほど多い理由が理解できます。しかし、だからと言ってコツコツ貯めたお金を搾取していいわけありませんし、逆にこれだけ貯めた方も、一獲千金や旨い話には乗らないようにしていただきたいものですね・・・・。

facebook

 最近、巷で流行っているfacebookとやらを始めました。mixiなどとは違い、実名かつ顔写真付きで登録するシステムですので、誰でも名前と顔さえ知っていれば容易に探すことができます。そこではいろんな情報や自身の近況のやり取りをすることで、今まで疎遠であった友人や、直接に連絡や近況報告するほどでもなかった知人、海外の友人なども、申請によって互いに友人として登録すれば、その人の近況や行動がリアルタイムに表示されます。当たり前に今までは、その人からの連絡や誰かから聞かなければ、今何をしているのか、今どこにいるのかなどわかる筈もなかったものが、「誰に対して伝える」ということを特定しなくても、その人が投稿するだけで友人になった全員が分かるというシステムです。デジタルでリアルタイムなこのシステムは、今のこの現代に完全に合致していると言えるでしょう。確かにコミュニケーション力の高さには脱帽で、かなり新鮮ですのでやっていてかなり面白いのですが、続けていますとアナログ世代とデジタル世代の中間に位置する私自身の正直な感想は、このシステムを意識し、自分の投稿に対するコメントの返答などを常にチェックしていないと、コメント頂いた相手に失礼になりますし、あれやこれやと操作するのに端末からの操作はわからないことばかりで、慣れるまでは結構難しいし、結構忙しいなあという感じです。それでも慣れねばとせっせと使っているうちに、アナログなコミュニケーションツールである「郵便」という媒体も気になりつい先日、万年筆を購入しました。これも不思議なもので、今まで筆不精であった私が、万年筆を買ったことによって、字が下手でも何故か手紙を書きたくなってきます。
 自分にはできないとか、こんなもん面倒とかいう前に、何でも始めてみるものですね・・・。

百合が丘のパン屋さん

 先日、今年の4月から百合が丘で、パン屋さんを始める私の後輩と車に乗って目的にへ向かう途中のことでした。その後輩にしてみれば、私は先に事業をしている先輩ですから、それはそれは興味津々に、またメモを取りながら、経営のことや税金のことなどを熱心に聞いてきます。私も、全ての分野において精通しているはずも無いのですが、当然にその後輩よりは分かっていますので、わかる範囲で考え方を伝えたり、知識を与えたりしながら話をしていますと、これまた不思議なもので、話を真剣に聞いてもらえていると思うと、段々と調子に乗ってきまして、いろんな人生論についても語り始めました。後輩にしてみれば、若い親子ほど年が離れている先輩ですから、当然に人生経験も違いますので、これもまた新鮮なんでしょう、熱心に聞いてくれます。そこで私が最近に感じている事を伝えたのですが、それも非常に共感を得たので、ここでその一つをご紹介します。
 「お金を追っている間は得ることができないが、追わなくなったら得ることができる」というものです。これは良く言われてますが、なぜそうなのかを私なりに解釈してみますと、それは最初に「一生懸命にお金を追っている」からこそ、得ることができる地盤や基礎が出来上がり、そうなれば何より人間的にも社会的にも成長し、お金が全てでないという事がわかるはずです。そうなれば勝手に向こうからやってくる、というのではないのでしょうか。ですから、最初から何も追わなければ何も得るものもない、ということだと思います。
 結局今ある自分の置かれている状況は、過去の自分の鏡であるということです。今私は幸せだと感じている方は、今まで幸せになるための努力をしてきたからであり、仮に努力もせずに得た幸せなどは、決して長続きしないものなのでしょうね・・・。

ホノルルマラソンを終えて

 2011年12月11日AM5:00。まだ夜が明けきらぬうちに、私たちチームメッセンジャーのメンバー53名は、ハワイ・ホノルルの地において42.195kmのフルマラソンのスタートを切りました。スタートして間もなく沿道には、大会運営のボランティアの方々や地元の応援の方々が、元気いっぱいに参加者へ声援を送ってくださり、挨拶を交わしたりハイタッチしたりしながら歩を進めました。夜が明け始めた頃には、ワイキキビーチ沿いの道路を過ぎ、レースデイウォークという10kmを歩くエントリーの方のゴールが過ぎたところから、私たちの周りから人が急激に減り、そこから残り30.195kmというとてつもなく長い道のりとの戦いが始まりました。
 結局私は、チーム最年長73歳の方のご夫婦のフォローをしながら撮影をしていましたので、10時間12分かけてゴールをしたのですが、その時大会全体の最終ランナーが我々のメンバーという情報が入ってきましたので、先にゴールした者全員で迎える準備をしました。スタートから14時間40分、ようやく最終の集団がフィニッシュラインに近づきました。メンバーは、リーダーと実行委員数名、それに難病で3月まで車椅子に乗っていた男の子と、全盲の小学6年生の女の子です。先に男の子が元気よくゴールし、続いて全盲の女の子がゴールしようとしたとき、それまで全盲のため実行委員に導いてもらっていた両手を自ら放し、ゴールに先に入ったお母さんの拍手の音だけを頼りに、数十メートルを一人でゴールラインに向かいました。42km歩いたせいでふらつく足取りでお母さんに向かう少女。ゴールラインで待ち構えたお母さんは女の子をしっかりと両手で受け止め、二人で泣きじゃくりながらその場に立ち尽くしました。
 そんなゴールシーンを最終に、我ら参加者53名全員が完全完走(歩?)を果たしたのでした・・・。

自画自賛

 謹んで新年のお祝いを申し上げます。旧年中はひとかたならぬご厚情を賜りまして、心から御礼申し上げます。本年も昨年同様、格別のお引き立てを賜りますようよろしくお願い申し上げます。また、昨年の東日本大震災で被災された方々には、未だ毎日がご苦労の連続に加え、厳しい寒さの中お過ごしのこととお察し申し上げます。東北地方における一日でも早い復興とご多幸を願いますとともに、本年が被災された方々にとって素晴らしい年になることを心よりお祈り申し上げます。
 さて、新年を迎え思い起こしてみますと、このコラムもいつも締め切りに迫られながら、もう止めた!もう堪忍して!となんだかんだ言いながらこの正月で何と10年を超えました。そう考えますと大体2週に一度のペースで掲載していますので、計算しますと260回を超えた計算になります。しかし最初の頃は、会社自体にお金が無かったので、月1回のチラシしかしていなかったことを差引き、また2週に一度のペースになってからは一度しか休んでいないことを考慮に入れましても、200回以上の掲載をしている計算になります。確認のためホームページに掲載しているコラムを足していきますと、最初の頃にチラシに掲載していても紛失した数点を計算に入れなくても224回分のコラムが掲載されています。
 思い起こせば有名な格言で「継続は力なり」というのを良く学生時代によく聞きました。その時は「だから何?」と全くその言葉の重さを実感できませんでしたが、今こうして10年間かけて自分がしていることを、仮に他の人がやっていると私が思えば、私はその人に対しおそらく「あんたは偉い!」と褒めるでしょう。であるならば、新年早々のこの貴重な時期に、普段は自分を褒めない私自身に対し、少しくらい自分自身を褒めてやっても良いかなと思う今日この頃でした・・・。

ガンサバイバーホノルルマラソンツアー

 前回のコラム取り上げた「がんサバイバーホノルルマラソンツアー」ついて少し触れさせていただきます。リーダーである杉浦貴之さんは、28歳のときに腎臓がんを発病し余命半年を宣告されながらも、がんを克服し、現在40歳まで再発していません。自身曰く「がんになった原因の習慣(体・心・生活)を正す」ことにより病気を克服できることを、今病気で苦しんでいる人に伝えたいという一心で講演活動を始めました。その活動から、世の中には自分と同じように余命宣告されながらも完治された方が多く存在することを目の当たりに確認して行くことにより、自身が行っている活動が間違いでないことを確信されました。その中で、たまたま自身が経験した「走れるほどに元気になったのではなく、走ったから元気になった」をもっと皆に伝えたいという一心で、かねてからの希望であった「がんサバイバーホノルルマラソンツアー」の実行に我々は乗り出し、昨年参加された方々の感想を、一冊の冊子にまとめたものを作成しました。
 その中から一部抜粋しますと「走ると元気になる・・・かなり実感!サバイバーとかサポーターとかもう関係なくて、一人じゃなくて、前にも、後ろにも、横にも、日本からも、そして天からも一緒にゴールに向かう仲間がいる。だから楽しい。細胞ひとつひとつが喜んでいて、ホノルル後のすがすがしい笑顔といったら、もう最幸!こんなにもすばらしい仲間に出逢え、一緒に走れたこと、本当に感謝致します。」「ホノルル参加を決め、走り出したら、何も治療をしていないのに、4年間ずっと4桁だった腫瘍マーカーが3桁に下がって正常範囲に近づいた。悪性リンパ腫7回の再発を乗り越え、「余命半年」宣告も軽くクリア!自分のイメージした42.195㎞を笑顔でゴールできた。今の私は何でも笑って乗り越えられる気がする。」

木々の頑張り

 車を走らせていますと、窓に映る風景に紅葉が入るようになってきました。 冬は木枯らしなどが吹くように比較的風が強いので、風景もまた遠くまで見渡せ、より鮮明に景色が楽しめます。そんな冬の季節に、春先に可哀そうなくらいに物凄い切られ方をしました会社の前の銀杏の樹も、以前に書かせていただいたように、他の樹よりもより多くの葉をつけ、その生命の逞しさに感動したものですが、ここに来てまた新たな発見をしました。それは、その銀杏の樹は、枝は相変わらず細くても物凄い多くの葉を所狭しと広げていたのですが、他の銀杏の葉が黄色く染まって落ちて行くこの時期になっても、未だに青々と葉を茂らせています。それは、小さくなった自分自身をカバーするかのようです。しかしその青々とした葉は、どうしても季節には逆らえないのでしょう、その色を保ったまま他の樹と同じように落葉してきています。そんな木々の頑張りがあっても、日に日に季節が深まることにより、やがては全て落葉してしまいます。
 そんな生命の逞しさは、木々のみでなく「人」にも確かに存在しています。私は以前のコラムでも書かせていただきましたが、「がんサバイバーホノルルマラソンツアー」という活動に参加しています。これは余命半年を宣告されながらも、がんを完全完治させ、その自らの体験をもとに、全国でライブ&講演を行っている杉浦貴之さんをリーダーとするサークルで、今年もがんサバイバーさん約20名を引き連れ、ホノルルマラソンに参加します。私は、そのサークルの事務・裏方を仕切る事務局として一昨年より活動してきましたが、昨年は色々と個人的に思うところもあり、ツアーにだけは参加しませんでした。 
 しかし、今年は決意も新たにマラソンに参加することにし、がんサバイバーさんと共にホノルルの街を「激走」ならぬ「激歩」して参ります・・。