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自意識過剰

 先週は急な出張だった為、初めてこのコラムをお休みさせていただき失礼致しました。まあしかし、一度休んだところで、私の周りから何も言ってこなかったことを考えますと、本当にこのコラムも自己満足や自意識過剰の世界に浸っているのだろうなと思わされたりします。
 自己満足といえば私はいつも思う事なのですが、人というのは何故これほどまで自意識過剰なのかと思わされる事があります。それは服装や身なりに関してです。大体殆どの人は、洋服などを購入する際に、お店で鏡を眺めながら、こっちの方がいいとか、これはちょっとおかしいでしょとかいろいろな服を試してようやく一つの服を購入しますが、それは周りの人や全然知らない他の人から自分を少しでも良く見せたい一心で一生懸命選んでいるはずです。しかし、街で色々な人とすれ違う時にふと「この人たちも今着ている服を選ぶのに、時間をかけて、お金かけているんでしょうが、人はそんなにあなたの服装や身なりをしっかりと見てないのになあ。」と思うのですが、それでも一生懸命「これおかしくない?」とおかしいと絶対に言わない店員さんに聞いたりして納得していたりします。これは他人だからあまり関心がないということではなく、知人や家族でも同じことが言えまして、「自分が思っているほど人は自分に関心はない」という前提で考えれば、極端におかしな身なりをしない限り、人には別に普通に映るものです。しかし、極端な自分基準の美的感覚をお持ちの方は、周りから見て「うわっつ!」と思うような身なりをされますが、逆に言えばこれくらいのインパクトを出さなければ、人から関心を向けられないということなのでしょう。
 まあ、そういう私はいつも周りから「センス悪ぅ」と一種の関心を持たれたりしますので、極端な自分基準の美的感覚の持ち主なのでしょうね・・・。

千房社長 中井政嗣さん

 新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。
 また新たな年を迎え、気分一新でいこう!と年始の誓いなど行いたいところではございますが、それは自分達の生活がある程度安定している時や、先行き明るい見込みがある時には、望みを託して誓いなどを行おうと思いますが、100年に一度と言われているこの世界同時不況の先行きの全く見通しがきかない中で、気持ちだけ盛り上げるのは至難の業なのかもしれません。しかし、私個人としては、そういう悪い状況では勿論の事、そんな悪い状況でない時でも、そんな事を言い続けることによって世間の皆のマインドが下りますので、こんな事は言いたくないと思っています。
 そう思っていますと、以前講演を聞かせて頂いた事のあるお好み焼き千房社長の中井政嗣さんが、ある雑誌の対談で、『タクシーに乗る度に、運転手さんにお客さんが乗る度に「景気ようなりましたなあ」と言ってくださいとお願いするそうです。言われた客は「そんなことない」と答えても「乗ってくるお客さんは皆そう言ってはります」と言えば、「なんでうちだけ悪いのか」と考えるようになるんでそう言って下さいというのです。この記述の趣旨は部下の指導法というのがメインテーマだったので、読んだ時はさっと読み過ごしましたが、後でよく考えて見ましたら、今現在起きているこの世界不況も、皆が不況で株価や地価が下がると思い込んだ結果、その通りに進んでいるからで、バブル期のように皆が株価や地価は上がり続けるものだ、と思えば上がっています。
 これは極端な例ではありますが、結局好況や不況などは人々のマインドが支配するものと考えれば、先ほどの中井社長の思いを皆が実践すれば、この不況を乗り越えられるかも知れません・・・。

バカンス

 本当に月日の経つのが早いもので、これが今年最終のコラムになります。幼少の頃の1年間と40歳を越えた今の1年間の長さがこんなにも違うように感じるのは、人生の経験値から来るものでしょうが、それゆえに年を重ねるごとに1年という時間が短くなってきていることを実感します。
 そんな「日本人の年末年始」は、クリスマス商戦に踊らされた人々が、クリスマスが終わった途端に一気に正月に向けて大あらわになったあと、帰省ラッシュの一員に加わる為に車を走らせ、やっと迎えた正月には、人でごった返している初詣へ出かけ、これからゆっくりしようと思った頃に、再びUターンラッシュの一員に加わり、ようやく帰宅した翌日には会社へ出勤する、という仕事をしている以上に忙しい休日を過ごすという印象です。
 こう考えますと、日本人というのは休み、即ち「バカンス」を取るのが下手だとよく言われますが、それは根本的に、欧米の休日に比べて日本人の休日の日数が極端に短いのですから、そうならざるを得ないのでしょう。ですから日本人には「休日」はあっても、欧米でいう「バカンス」は存在しないということになります。
 そんな勤勉で休みもなく働いてきた日本も、米国を発端にした不況の煽りを受けて、今や大恐慌に発展する事態にまできてしまいました。今までは安泰と思われていた上場企業が次々に倒産に追い込まれ、日本で大多数を占める中小企業などは言わずと知れた事態になっているにもかかわらず、我が国の政府はそれを見ている“ふり”をしているだけです。こんな私でも彼らの政策の浅さがよくわかります。私は本心で当初から全く政治には期待していませんが、頼らざるを得ない立場の人などの事を、どう感じて、どうやっていくつもりなのか、一人の人間として是非聞いてみたくなります・・・。

病は気から

 「今のお前らにこんなこと言うてもわからんやろうが、俺みたいな年齢になったらようやく、「ああ、あの先生が言うてた事はこういうことやったんや」って分かると思うが、お前らのように強制的に体を動かせる体育の授業があるって言う事は、どれだけすばらしい事ってことがわかるか。」と高校時代の技術家庭の先生が仰っていました。また、学生時代によく校長先生やPTA会長などが全校生徒を前にして「全てのものに対し感謝の気持ちを忘れないように」というような言葉をよく言っておられましたが、その時は「何言うてんねん。訳の分からん。」という風に全く感じられなかったのですが、最近年を取ってきまして、ようやくこれらの言葉が理解できるようになって来ました。
 大人たちが子供に向って、こういった大切な事をどれだけ言った所で、子供たち自身が自ら感じる事ができなければ、その時点では全く意味の無いもののように思えます。ただ、その言葉が心にさえ残っていれば、それがわかる時になれば、ようやく意味を成しますので、技術家庭の先生ではないですが、今意味が分からなくても、後で解るようになるから忘れないように、と子供たちに教えてあげる事が重要であるように思えます。
 そんな言葉の中に「健全な精神は健全な肉体に宿る」というものありました。この言葉は、健全な肉体を造れば精神も健全でいられるので、しっかりと鍛錬しなさい、という意味だと私は理解しています。しかし最近私が実感として感じることは逆に、健全な精神を持てば、健全な肉体が造れる、のではないかということです。「病は気から」というように心が病めば、体は病みます。以前私は病気というのは体の不調であって、心とは関係ないように思っていましたが、最近こう確信しています。心を直せば大体の病気は治るはずであると・・・。

竹下貴之さん

 先日、以前のコラムでも登場した、竹下貴之さんと5年ぶりに京都で会いました。以前は名前を伏せましたが、今回は彼の今後のためにも実名です。彼は東京大学大学院を主席で卒業、旧科学技術省へはその年に各省庁合わせて10名という、いわゆるキャリアという超エリートで入庁しておきながらその肩書きを捨てて、自分の研究に没頭することに専念した人物です。
 その彼との出会いは、私が東京で勤務していた頃、私の販売現場にアルバイトで来た事がきっかけでした。そんな彼が旧科学技術庁に入庁してからも、何度も居酒屋で将来の日本のエネルギーについて語りました。そんなある日、巣鴨の駅前の居酒屋で、彼の仕事に対する悩みの相談に乗っていた際、これは彼曰くですが、私が言った言葉が彼のその後の生き方を決めたそうです。それは踊る大捜査線でいかりや長介が「正しい事がしたければ、偉くなれ」と言った言葉そのままです。それはその組織の中で偉くなって正しい事をするということは勿論の事、それが過度なストレスになるなら、また違う方向や場所で認められるようになって最終的に同じように実現できればいいんじゃない、と言ったことでした。
 彼は本当に次の日にキャリアを外れる要望を上司に行い、一般的には窓際といわれる職場環境で自由に研究を行うことを決心しました。そしてその研究を更に極める為に東京大学大学院へ行き、更に今、立命館大学で本当に自由に研究できる環境が整ったようです。そしてようやくその方面からある程度認められる存在になったと、その成果である全部英文の論文や、論文が掲載されているその分野では超一流の有名雑誌や自分が載っている一般誌を袋に詰めて、嬉しそうに渡してくれました。
 そして私は彼と約束をしました。今度はノーベル賞やなと。彼は本心で「そのつもりです」と言い切りました・・・。

ごろごろ水

 人間というのは本当に不思議な生き物で、私が成人した20年前には、「水」を買うなんてことは想像もしなかったですが、今や飲む水はペットボトルの水で、料理に使う水は浄水器を通した水を使うなど、ある時期までは水道水が全く気にならなかったものが、一度そういうものを試してしまうと、どうも気になってしまいます。本来であれば、水道の安全や敷設状況が悪い諸外国などで飲まれるのは当然としても、こんな安全な水道水が各家庭に供給されているのは世界中見渡しても日本くらいなのに、その日本人がペットボトルの水を飲むというのは、贅沢としか言いようがありません。が、そういう私も、数年前からペットボトルの水が欠かせなくなっている一人で、一度おいしい水を飲んでしまうと、やはり水道水を飲むのには抵抗を感じてしまいます。
 そんな私は、3週間に一度、奈良県の吉野のまだ奥にある大峰山、洞川温泉の奥にある「ごろごろ水」という湧き水を汲みに行っています。この水は酸化還元力が非常に高く、TVの実験でも他の水と比較して圧倒的な力を発揮した水です。またこの水は、巷では病気が治ったとか、アトピーにいいとかいろんなことが言われていますが、そんな事も含めて、この水で入れたお茶や、そのまま冷やしておいた水の味が水道水とは比べ物にならないくらい美味しいという一石二鳥の理由で汲みに行っています。またこの水の特徴として、水道水をタンクに保管しようものなら、1週間も経たない内に内面がヌルヌルになりますが、この水は3週間に一度の入替でも、タンクは殆どヌルヌルしません。
 そんな水を、往復約150Kmのガソリンを炊き、20㍑タンクを会社の人の分を合わせて多い時には20本、重さにして400Kgという運搬業者並の量を運搬している私は、贅沢者なのか馬鹿者なのかどちらでしょう・・・。

ありがとう

 先日、小林正観さんの「100%幸せな1%の人々」という本を読みました。読んでいる内に、私にとっては結構その本の内容が新鮮でしたので、一気に読んでしまいました。今まで読んだ本は良い事が書かれていても大体は普通に納得できる内容が殆どでしたが、この本は同じ物事でも、一味違う捕らえ方で書かれていましたので、良い悪いは別にして、新鮮な感覚で読ませて頂きました。
 例えば、「不幸な出来事や幸福な出来事」というのはこの世に存在しない、というのです。それは例えば父親が死んだとします。普通はそれを「不幸な出来事」と考えますがそれは違うというのです。これは「父の死という事実」と、「それは悲しいという感情」の二つが重なっているだけで、「父の死」という事実自体には、不幸や幸福という概念はなく、ただ、事実が存在するのみで、その事実を受け止めた人がそれをどう捕らえるかによって「不幸か幸福か」が決まるというのです。例えばそれを「父が苦しまずに逝けた事が何よりの幸福」等と考えられるようになれば、全てにおいて自分には”不幸“というものが存在しなくなる、ということでした。また、「イライラさせる人」という”人“はこの世に存在しなくて、その人の事を自分が「イライラ」するという感情を抱くだけで、その人が「イライラ」な”人“ではないんですよと、だから、それを「イライラ」させないでくれと、相手に求めるから自分が辛くなるのであり、自分を「イライラ」しなくなるようにしたら万事解決しますよ、という内容でした。まあ、かなり強引な考え方ではありますが、ある意味「ナルホド!」とも思えます。
 そんな中でこの作者を含め、いろんな方が言われている「ありがとう」という言葉を口にするという事は、人間が生きていく上で非常に重要な言葉だということを、最近特に私は実感するようになりました・・・。

清原和博さん

 とうとう昭和の野球界のビックスター清原和博さんが現役を引退されました。以前のコラムでも書かせていただきましたが、私も一応中学校、高校と野球をやっており、清原さんや桑田さんと同学年だったので、県は違いますが、同じ年の大会に参加していました。一緒の大会といいましても、あちらは1年生からレギュラーどころか甲子園でバリバリ活躍していたのに比較し、私は甲子園どころか、たまたま1年生でベンチ入りはさせて頂きましたが、当然に補欠選手で、実力などはそれこそ雲泥の差でした。ですから接点など全くないのですが、同学年で同じ大会に参加していたというだけで、何故か勝手に誇らしげに思っていたりしたものでした。
 そんな清原さんが、引退するということは、先に引退された桑田さんの時もそうでしたが、今の自分の事と比較して、私にとっては残念という気持ちよりも、よくぞここまで、よくぞこの年まで現役を続けられたという思いで一杯です。他には同学年ではサッカー選手の中山雅史さんや一歳上の三浦和良さん、また横浜ベイスターズには4歳も年上の工藤公康さんなどをはじめとした諸先輩方や同輩などが、プロという選ばれし者だけが活躍できる場でまだ現役で頑張っておられます。そんな彼らの信条や言葉、生活などがメディアを通して伝えられる事を見聞きする度に、私のような一般人にはとても真似できない、言葉や信条、生き様が飛び込んできます。
 プロ野球史上残る数々の名誉、不名誉な記録を残した清原さんが、熱望していた巨人からの指名がなかった涙の入団に始まり、自ら栄光を掴んだ後、待望の巨人へ入団したものの故障に悩み、突然の戦力外通知を経験した後、人情に救われた野球人生を振り返り、引退に際し出た言葉。
 それは驕りや達成感、恨みや不満でなく、自分の周りの人々への心からの「感謝」の言葉でした・・・。

うめ吉

 とうとう次男まつ吉に続いて、長男のうめ吉が天国に召されました。人から見れば犬が死んだくらい、と思われる方もいらっしゃるとは思いますが、一緒に暮らしていたものにとっては、家族の死と同じ悲しみです。先のまつ吉の死は突然訪れましたので、そのショックはかなり大きかったのですが、それでもまだうめ吉がいた為に、悲しみを紛らわす事が出来ました。しかし、半年も経たない内の2人の死で、そのポッカリと空いた大きな穴は当分癒されそうにありません。
 いつも使っていた食器、大好きだったぬいぐるみ、いつも来ていた服、欠かせなかったオムツ・・・、家や車、職場やPCなど自分のいる場所を見渡せば、そこかしこに彼らの存在した証明がそのままに残っています。そんな存在の証明を自分の周りから消した方が楽なのか、それとも残した方が楽なのか、今はまだ判断がつきません。そんなことを思いながら、17年前に大薮家に始めてうめ吉がやってきた時や、まつ吉がやってきた14年前、その後に旅行したり、家族が集まった時に撮った数々のビデオを見返しました。そこで一つ言えることは、うめ吉は17年間、まつ吉は14年間の間に、私たち大薮家の家族の中で、決して主役としてではなく、しかし確実に大きな存在として思い出に残っている事は確かです。
 うめ吉がやってきた時、四男はまだ高校生でした。三男は専門学校生、次男は新社会人、長女夫婦と私たち夫婦は結婚したばかりでした。そんな彼らが、それぞれに家庭を持つ前から一緒に過ごした時間を思ってくれたのでしょう、熊本にいる次男はすぐに電話で、それ以外はそれぞれの家族を連れてうめ吉の臨終に際し集まってくれました。
 そんなうめ吉、まつ吉は二人共、最後に苦しまず逝ってくれたことが、皆に対する孝行だったと思います・・・。

報道の影響

 新聞やTVでは不正が発覚したり、悲惨な事件などが毎日のように報道されています。本当にこれだけ頻繁になってきますと、正直に言いまして「ああ、またか」というようにしか捉えられなくなってきてしまうのもある意味仕方が無いことなのかもしれません。
 以前にあった、大分県の教員の不正採用事件や、八王子通り魔事件などニュースを見たときも「もう、世の中どうなってんじゃ。ええかげんにせいよ。」と思ったりしますが、当事者で無い限り、それも報道されなくなるとすぐ忘れてしまいます。
 そんな事件や事故などは、情報網の発達によってニュースを選択できるようになったことや、不正や汚職などを許さない環境がようやく出てきたこともあり、沢山の情報が日々報道されています。そういう風に考えますと、頻繁に不正や汚職などが報道されていく事は、今までにないクリーンな社会を将来の子供たちに引き継いで行くためには、非常に重要な事であるといえます。また、事故や災害なども、知人や親戚などの安否を知るためにもまた、防災意識や、自身の事故に対する戒めをするためにも非常に重要なものですから、こういった報道は、そんな事件や事故、災害がなくなるまで積極的に報道していくべきだといえるかもしれません。
 しかし、同じ事件でも、通り魔事件や殺人事件など、報道する事によって模倣犯が現れる恐れのあるものや、自殺などの報道で、報道する事によるメリットよりも、デメリットの方が大きいと判断される事件は、誰がどんな基準で判断するのかという難しい問題はありますが、当局の指導や、業界の自主規制などによって報道規制を行うべきだと思います。
 考えようによっては、報道による影響を一番考えていないのは、当の報道機関であるように思えます・・・。