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商店街のお店

 不動産市場を含めた最近の日本経済は、一向に上向く兆しがなく、どの業界でも我慢の経営を強いられています。そんな市況の悪い中でも私共は、手前味噌ではありますがお陰様で地域の皆様のご贔屓の賜物で、大変多くのお客様にご来店いただき、また大変多くのご成約を頂戴しております。結果、沢山のお客様にご満足いただけるお仕事をさせていただいております事に、皆が本当に心から感謝しています。そんなやりがいのある仕事を大変忙しくさせていただいていても、経済的に恵まれた状況には程遠く、入ってきた分はすべて支払うといった、資産余力の出ない状況です。しかしこの経済状況下で、まだ普通に「飯が食えている」状況ですので、忙しくさせていただいているだけでも良い方だと思っています。
 そんな厳しい経済状況の中で、以前から不思議に思っていることなのですが、私共のような会社があると思えば、昔からある商店街の一角で、大変失礼ながらいつ見てもお客様が入っているところを見たことのないお店や、これも大変失礼ながらどう見ても何年もいや何十年も前のデザインと思われるような物を売っていらっしゃるお店などが、同じ場所で同じスタイルで、ずっとお店をやってらっしゃいます。そんなお店を見るたびに、その極意が知りたくてたまりません。仮にそのお店の懐を勝手に計算してみますと、利益率30%、営業日数25日/月、粗利としては少ないですが最低限として30万円/月で逆算としますと、何と売上100万円/月、4万円/日になり、平均単価が4,000円ですと、毎日10個、8,000円でも5個の売り上げが必要になります。今までの良い時代に稼いだ貯金があるといってもそれにも限りがあるでしょうし、他の販売ルートでもあるのでしょうか。
 一体どうやって、何をして稼いでおられるのか、本当に教えていただきたいです・・・。

セルフサービス

 私が子供の頃に次々に出店された大型スーパーには、それまでにはなかった買い物に行くということが、小さなレジャーをするかのごとく、楽しみなイベントだったような気がします。それが、時代は変わり今では大規模複合施設が次々に出店されています。そんな中でも形の変わらないのは、フードコートです。このフードコートはなぜかしら好きで、今でもよく利用します。今、このコラムを書くにあたってフードコートの何が好きなのかを考えてみましたら、「いろんな物が選べる」「安い」「早い」など理由は出てきますが、最終的には「全体的な雰囲気」が好きだという結論に達します。しかし、この歳になってスーツ姿で一人で行くのは、さすがに抵抗があり、今では家族と一緒でしか行かなくなってきました。
 そんなフードコートですが、いろんな好きな理由がある中で「安い」という理由は私の中でかなり重要ですが、この価格が安い設定ができる要因として、「セルフサービス」であるということが挙げられます。人件費を削減することによって提供する価格を下げる、これは個人的には素晴らしい発想だと思います。自分で運んで自分で片づける、日本人らしい発想です。そんなフードコートはあらゆる国々で見かけますので、私はよく利用するのですが、システム的に日本と違う部分があります。それは、片づけだけ「セルフサービス」でないということです。商品の購入や運搬は、自分で決まったことをしなければいけないのですが、食事後は、テーブルにそのままにしておく、というスタイルです。特にアジア圏では、汚そうが散らかろうがお構いなしでそのまま離席しています。
 最初はこのシステムに馴染めず、よく食器を返しに行きましたが、ある時、隣で片づけの仕事をしている女性を見ながら、ふと考えました。「そうか。自分で食器を返しに行ったら、この人の仕事がなくなるんや」と・・・。

教育レベル

 以前、海外に向かう途中の機内で、私が座っている隣と通路を挟んだ隣三席に、中国人と思われる子供三人、大人二人の家族が乗っていました。父親は日本語を話せるようで、前の席の日本人と話をしていました。後ろの子供は日本ですと小学校低学年の女の子とそのお兄ちゃん二人という構成ですから、騒ぐことは仕方のないことだと覚悟を決めて座っていました。子供たちが騒ぐ中、お父さんは前の席の日本人と比較的大きな声で話されているものですから、私は別に聞き耳を立てていた訳ではないですが、話の内容は筒抜けでした。どうやらその方は、仕事の関係で日本に頻繁に行っていて、それで日本語が話せるようになったらしく、結構流暢に話しています。そんな中、日本人の方が「どうですか、日本は好きですか?」と尋ねられたところ、明らかに嫌悪の表情をして手を横に振って「大嫌いです」という感じにジェスチャーで答えていました。
 それから少し時間が経ち、子供たち三人が今流行りのiPad2台を交代で音楽を流したりゲームしたりしている中で、iPadにあたらない子供から一人ずつ勉強を始めました。そして勉強がひと段落したら、解答をお母さんに渡し、違う子供が今度は交代して勉強をするという具合でした。そんな中、どんな勉強しているのかとチラッと手元を覗いて驚愕しました。何と私が高校の時に、全く分からなかった関数計算をしているではないですか!これだけレベルが違いますと、中国の教育レベルが高いのか、日本のレベルが低いのか分らなくなります。
 そんな教育レベルの高い、日本が大嫌いとジェスチャーで言っていたお父さんは、CASIOの時計を身に着け、SONYのカメラを持ち、MAZDAのキーをぶら下げ、足元は毛布や雑誌や新聞を散らかしっぱなしで、子供にKUMONの教材で勉強させていました・・・。

ティウロン村の笑顔を守りたい

 7月の初めにマレーシア、ボルネオ島のサバ州にあるティウロンという人口100人ほどの村にホームステイに行きました。このツアーは以前このコラムでも紹介したシンガーソングエロランナー杉浦貴之さんの奥さんの亜紗比さんが企画したもので、その目的は自然に委ねられた生活を村人と共に数日間生活することにより、素の人間同士としての心の交流をすること、二つ目は80年代から日本に向けて大量に輸出された木材の伐採地を、現地の緑の復活と同時に、現地の職の創生のための植林を行うこと、でした。
 正直なところ、シャワーもなく、桶に貯めた茶色い雨水で体や頭を洗い、同じ場所にあるトイレには紙もなく、左手で拭いてその雨水で手を洗う、などと聞いていましたが、現地へ行ってみるとホストファミリーも理解していてくれて、我々の生活スタイルは快く許可してくれましたし、食事も想像を逆に覆すほど日本人の味覚に合っていました。そんなティウロン村での生活は、熱帯雨林の地域では、当たり前なのかもしれませんが、かなりゆっくりとしていまして、朝早く起床し午前中に仕事をし、午後の暑い時間帯には、家の中や高床の下で雑談する、といったある意味優雅な生活でした。
 ここの人達は、日本の通貨で言うと月2~3万円程度の収入です。しかし、これほどまでに時間や体や心にゆとりのある生活を、どれだけの日本人が送っているのでしょうか。私を含め殆どの方は、時間や仕事に追われ生活しています。私達の生活は何かが必要になるので、一生懸命に働いてそれを得ます。しかし逆にいえば、食べるものがありさえして、何かを求めたり何も必要でなければ、こんな生活が送れるのです。杉浦さんがブログで言っていました。ここは発展途上国だけれども、日本は発展過剰国だと。確かにそうかも知れません。
 別れの朝、村人全員で一列に並び、私達10名を見送ってくれました。子供たちは、車が見えなくなるまで走って追いかけてきます。そんな中、涙を流しながら私の頭の中には、あのウ***滞在記のテーマがずっと流れていました・・・。

ヒッグス粒子

 つい先程のことですが、会社での会話で「ヒッグス粒子が発見された」といった言葉が出ていました。何やそれ?と話に入ってみますと、その粒子は元々宇宙の誕生(ビックバン)と関わっているらしく、137億年前のビックバン(宇宙誕生時)に発生した粒子で、最初は質量をもたず光速で移動していた他の素粒子が、このヒッグス粒子が発生したことによってその動きを阻まれた結果、質量が備わり原子核が発生した、ということらしいのです。ですからこの粒子が存在しなかったら、宇宙を含めてこの世に存在するあらゆる物質自体が存在しないことになるらしく、大変重要な粒子であるようです。まあしかし、この辺の知識のない私には、そもそも世界最高精度の電子顕微鏡であろうが人が見ることのできない粒子という存在が発見されたということ自体、どうやって発見されたのかさえ全く見当のつかない訳のわからない世界の出来事に、全てが????です。そんなことを考えていますと、今度は少し以前に話題になったニュートリノの話になり、光よりも早く移動できるやらできないやら、できるならタイムマシンが作れるだの、という話になりました。そもそもタイムマシンというものが、もし本当に存在する事になれば、歴史上の史実の事実確認や不明だった事の確認という今までの歴史が覆されるほどの発見や、未来におけるいろんな分野の先端技術の先取りなど、人類にとって大変貴重なマシンとなることは勿論です。それに反し、あんな事やこんな事など、悪事に利用しようとすればいくらでも利用できる「諸刃の剣」であることも認識しなければなりません。
 タイムマシンが完成する前提に、過去や未来の時空が存在する必要がありますが、であればその時空は一体何秒間隔で、いや何分の1秒、いや何万分の1秒間隔で存在するのか、それも全く判らないことですよね ・・・。

なんでも屋さん

 私が最近感心していることに、コンビニの進化があります。その進化を数年前まで遡って挙げていきますと、早朝から深夜までの営業時間から、24時間営業になり、コピー、ファックスの設置や、宅配便の集荷や配送物の受け取り、酒類、たばこの販売や化粧品、健康食品の販売、トイレの一般開放や、大型ごみ箱の設置、銀行ATMの設置や公共料金の支払窓口、スイーツ、弁当、飲料などの美味化や本格化など挙げればキリがありません。そんな中でも、最近特に力を入れているのか、お店で調理する惣菜や焼き鳥、淹れたてコーヒーや本格スイーツなどは、以前のコンビニの食品にあった「高くて美味しくない」というイメージを一新する、「本格的で」美味しいものが提供されるようになってきました。それに加え、これまでスーパーでしか買えなかった惣菜や生鮮食料品などを、一人分や少人数用のパックで提供しています。
 この提供の仕方は、私が3年ほど前に北海道に行ったとき、主に北海道で展開されているコンビニが1パック100円で惣菜を提供されていたのを見て感心したのを覚えていますが、その2年後には早くも全国規模のコンビニで採用されていました。もうここまであの手この手で仕掛けて来られますと、消費者である我々も、コンビニに行けば何でも買えるし何でもできるという、今までにない便利さで益々足が向くようになっていきます。
 でも、これを書きながらよーーく昔のことを思い出しましたら、ちょっと待てよとなりました。私が、子供の頃に必ず近所にあった「なんでも屋さん」では、お菓子や飲料、食料品や惣菜、日用雑貨から切手や簡単なおもちゃなど、その時代で暮らすために必要とされるものは何でも揃っていました。そう考えますと、一時的に消えていっただけで、今また現代版の「なんでも屋さん」として復活しただけなんですかね・・・。

おばあちゃん

 先日、妻の母方の祖母の誕生会に出席させていただきました。この行事は、毎年自身の子、孫などが集まりお祝いをしているらしく、私は今回初めて出席させていただきました。その主役である祖母は今年で91歳になるのですが、とてもチャーミングでかわいい「おばあちゃん」で、皆が口を揃えて言うように「自分もこんなおばあちゃんになりたい」と思わせる方です。そんな祖母を囲んで、末永く元気でいていただきたいと子や孫など総勢13名でお祝いをしました。
 そんな人気者の祖母は、いつも何故かしら私を気にかけていただいていまして(当然私だけでないですが)、このコラムは特にそうで毎回チェックしていただいていて、「今回のコラムのここが良かった」とか、「こんなエエ事書いてはんねんなあ」など、私を褒めるコメントばかりをいただきます。それがお世辞だとしても、人間そう言われれば気が悪くなる訳がなく、私も祖母を気にかけるようになります。そして私より若干?お年を召しておられますので、何かと色々とお世話をしたくなってきます。こういう風に、互いが相手の事を気遣えば気遣うほど、どんどん思いやりが増してきます。
 逆に、自分の考え方や思考、また行動が違う人がいた場合、それが他人であれば許せることでも、自分に近い人であればあるほど、許せなくなってきたりします。そういう場合、その相手に対し自分の考え方や思考、行動を強要したりしてしまいがちです。そうなると、その相手は、敵意に近い感情を自分に対しぶつけ、またその感情が、更に相手に対して返されたりします。
 そう考えますと、人付き合いというのはシンプルに捉えれば実は簡単なことで、自分が発信する相手への感情がそのまま鏡のように反射すると考えて行動すれば良いだけなのかもしれませんね・・・。

中村文昭さん

 先日ある業界の集まりで、中村文昭さんの講演を聞かせていただく機会がありました。この方の講演は実際に聞くのは初めてでしたが、私の知人の知人でもあったこともあり、CDなどで聞かせていただいたことはありました。内容的にはそのCDの内容とそんなに変化のあるものではなかったのですが、やはり機械を通して聴く講演と、実際に本人の肉声で聴く講演では感じ取れるものが数倍違うものだということを再確認しました。内容をごく簡単に言えば、人生の師匠に偶然出会った事によって、最高の貧乏生活から如何にして今に至ったかということなのですが、その一つ一つの発する言葉の重みや意味が、すべて心に残るフレーズでした。
 「頼まれごとは、試されごと」自分の実力以上や自分にはできない依頼はされることはないので、頼まれれば必ず受けて、かつ相手の予測を上回る結果を必ず出すこと。そうすれば本当の感謝と信頼が生まれる
 「できない理由を言うのでなく、どうすればできるかを考えろ」人は何かとできない理由をつけては、物事をしない方向に向けていく傾向がある。それをどうすればできるのかと、逆に考えられる癖をつければ道は開く
 「返事は0.2秒で」どうせお願い事を断らないと決めたのなら、内容を聞く前でも返事すればいい。決して自分にできない依頼は来ないのだから。そして受けてから内容を聞いて、予測を上回る結果を残す
 「お金は入り口でなく、出口を意識する」如何にしてお金を稼ぐかということよりも、稼いだお金をどのように使うか、またお金を使う人がどれだけ感動して支払いをしていくかを考えるだけで、自ずとお金は入ってくる
 当り前ですが、人と同じ考えや行動をしていて、尊敬されたり社会的成功者になれるはずありません。人と違う振る舞いをするからこそ成し得るものですよね・・・。

大型免許

 4月初めに、大型二輪免許の教習にチャレンジしました。普通二輪は18歳の時に取得し、CBX400F、TZR250というバイクを3年ほど、乗っていましたが、それ以降全く乗っていませんでしたので、バイクに乗るのは実に23年ぶりでした。私が免許を取得したころは、バイクと言えば「3ない運動」という全くナンセンスな風潮がPTAや学校で広まっており、また大型バイクは教習所では取得できない特殊な免許でした。そのころに大型免許を取得するには、運転免許試験場に直接出向き、所謂「一発」という試験を受けなければ免許を取得することができず、それに加え1回の試験経験ではどれだけ完璧にコースを周回しようとも絶対に合格を与えず、最低でも5回は試験を受けないと合格できないという噂が広まっていましたので、取得したかったのですがそんなことが面倒だったので、結局受けずに今に至りました。
 当時は原付であろうと、それまでの徒歩や自転車での生活から考えれば、劇的に行動範囲が広がりましたので、二輪に乗っていつまででも、どこまでも行けたものでした。しかし次第に、冬は暖房、夏は冷房、雨や嵐でも関係なく、おまけに音楽や飲み物、同乗者と楽しく話をしながら快適にドライブできる四輪車に慣れてしまうと、二輪の「必要性」が感じられなくなり、いつしか四輪の生活になりました。そんなバイクでしたが、最近、会社のメンバーや周りの人たちが、「足」としてではなく、「楽しみ」のために乗っているのを見て、沸々と昔の熱い思いが湧きあがってきて、思い切って門を叩きました。
 そして免許を無事取得し、どんなバイクを買おうかとワクワクしながらネットや雑誌などで物色していましたら、私の性格を知る18歳の息子から一言「取り返しのつかへん事なったらアカンから、速いバイクは絶対乗ったらアカンで」とキツくご指導を受けました・・・。

税務調査

 GWがいよいよ始まりました。そんなウキウキ気分の前に私は、先日はじめての体験をしました。それは「税務調査」です。私がこの会社を始めて10年が過ぎましたが、その間一度も税務調査が入っていません。入らない理由も、儲かっていないところはよく分かっているから、と本心から思っていたのですが、ようやく調査が入りました。よく周りからは、「あれだけ派手に広告とかして、儲かってるやろ」などと言われますが、正直なところお仕事は「かなり沢山」させて頂いてますが、儲かってはいません。なぜなら「あれだけ派手な広告」をしていますし、それなりに社員さんにもお給与を出させて頂いていますので、稼がせて頂いた分はほぼ支出します。しかし、日々の支払いが滞ったことや、自分以外のお給料なども遅れた事もありませんので、これは大変有難いことだと感謝しています。
 税務調査というと、未経験の私は映画などで見る「マルサ」という冷血極まりない黒服の方々が「ドドドッ」っと会社に乗り込み、ガッサッガッサと書類をあさり、天井裏や、車のトランクなどを調べるのかと思いきや、何とも紳士的な方が一人で、かつ穏やかに、差し出した帳面を黙々と眺めては質問され、という感じでした。後で聞けば当たり前のことですが、それは悪質で巨額の脱税していることが明白な場合の対応で、部署も管轄も権限も違いますので、調査はこんな感じのようです。そんな税務調査も当初の予定では2日間と言われていましたが、初日の午後には消費税計算の間違いの処理の指導を受けてすべての調査が終わりました。
 その時の担当者の方が言った「引継ぎ書類の中に、しっかりと経理処理されている会社というのをちゃんと記載しておきます」、これこそ当社グループの社訓「ちゃんとする」を実行していたからこそ頂けた大変嬉しい言葉です・・・。